2012/09/09

驚異的な身体能力

 

~TV画面にくぎ付け~

 車いすの選手の自由自在なまでの見事な動きに感動した。

 360度回転できる椅子の方向を、受け止めるボールの速度と角度に合わせて回転させる能力に目を見張った。超能力的異次元を見た感じで視線は釘付けになってしまった。パラリンピックの車いすテニス・男子シングル準決勝戦だった。車いすに乗せている両足に障害がある選手と片方の足が義足である選手の対戦だった。

 ワンバウンドまで許される通常のテニス競技ルールに、プラス・ワンバウンドが許されている(ことも初めて知った)とは言え、自分の意思では動けない身体を、腕1本の力(もう1本の腕にはラケットがある)で車いすを動かす運動量は全く想定できない。しかも、機器の側近に飛んでくるボールへの対応は避けながら打ち返す身体能力も要求される。一歩間違えば転倒だってあり得る。足によるストップが出来ないからである。

 そんな憶測を老脳に張り巡らせながら最後まで観戦した。デュースを何回も繰り返しての熱戦であった。両者の奮闘にすっかり釘付けになってしまった。「凄いなぁ~」の一言しか、ゲームセットの直後の感想として発することが出来なかった観戦者の小生にはどんな評価が下されるのだろうか。彼らが生きている世界との段差が大き過ぎた。

 小生は自らも運動選手だった。大した選手でもなかったし、教員になっても立派な指導者にもなれなかったが健常者である。更に、心の深部で感動したのは、画面の選手たちの表情に暗さは見えなかったことである。

 お気に入りの月刊誌(『致知』2012年10月号)で次のような記事を読んだばかりである。読者諸兄にもご紹介しよう。 

 ・・・・・(略)厳しい勝負の世界を戦い抜いてこられた米永邦雄氏(日本将棋連盟会長)は、運命を伸ばす核に心のあり方を置いているのが印象的だった。氏は言われた。「ねたむそねむひがむうらむにくむ。そういう気持ちを持っている人に運はついてこない」 道を極めた人の言葉は、心を高め、運命を伸ばす妙諦を簡潔に衝いて示唆に富む。(略)・・・・・
 

 この選手たちの障害の経緯は知る由もない。

生まれついでの障害と闘いながら生きている人も、健常な生活から何らかの外的要因で障害が発生してどん底から這い上がった人もいることぐらいしかわかっていない。ねたんだり、ひがんだり、事故や事件をにくんだりしながらも、パラリンピック(今日の話題の視点)というひのき舞台を目標にして周囲の皆さんの応援を一身に受けて努力に努力を重ねてここまでやって来たのだろう。

 想像を絶する辛さや苦しさをバネにして「運をかち取る」までの生き方に脱帽である。活躍する選手諸君にはまだ人生も長い道のりだ。道を極めた運動選手として後進に範を示しつつ前進して行って欲しいと、凡庸な小生は願うばかりである。
 
早朝歩禅記録 05:00~05:50【6300歩】
写真は下から上に時刻をずらして見てください。濃霧の朝に湖面の向こうに朝陽が昇りました。幻想的な太陽光を拝みながら帰ってきました。休日ですから皆さんは未だ熟睡中でしょうね。年を取ると、イヤでも目が覚めるようになるので寝坊などで自分を責めないでくださいませ。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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