2012/09/28

『栗剥き』奮戦記の巻

 ~「剥き方」の手解きは受けても・・・~

 食べると旨い栗の実も、口に入るまでの料理人の苦労が忍ばれた。

 地元の栗農家から沢山の栗を戴いた老妻は、何種類かの料理を考えたようだ。「贅沢な悩みだ」と口走りながら嬉しそうに手助けを求めてきた。「渋皮煮」とやらに挑戦したいのだそうだ。以前は、栗に関しては「買ってまで料理する」食材では無かったと言う。何せ、見たことも無い量の栗であったことは事実である。

 手助けの一助は「皮むき器」をホームセンターまで買いに行くことであった。以前にも料理に関する器具を買いに行っては帰宅すると「これじゃ無い方が・・・」とのクレームが付くことが記憶に残るくらいにあるので、本人の同乗を促してホームセンターまで行った。

 帰宅して数時間が経った。

 栗剥きは力仕事らしく、音をあげた老妻が二つめのヘルプ・サインを発した。購入したばかりの皮むき器を使って、残っている(9割は残っている)栗の実の鬼皮を剥いて欲しいとのことだった。渋皮は残して外の固い皮だけを落とす作業と理解して本腰を入れて手伝うことにした。

 途中で投げ出す!!

 恥ずべき行為(笑)に移りそうになった。このままの逃避行はみっともない、と己に言い聞かせる。「栗の皮」の成り立ちと繊維の方向性を睨みながら栗自体の構成状況を極めるために、(老妻の指示を守りながら)工夫を重ねた。機器はテコを利用しているので握力を試される。何百回もの「握り」「開く」の連続をしなくて済む方法を編み出した。鬼皮を剥がれやすい方向から「剥ぎ取る」工夫を編み出したので1個の栗の鬼皮は容易に剥がれた。

 老妻曰く「男の人はやっぱり力が強いですね」。夫の工夫を見抜いていないのだからやっぱり能天気だ。似た者夫婦かい??(笑)小生は生来の無精者である。手抜きの天才でもある(笑)。「どうしたら楽に出来るか」「何とかして無駄な時間を省きたい」とばかりに「易きを求める」生き方をして今日まで生きて来た。

パソコンの機能を活かし切れば「楽をして」生きることが出来る!こんな貧相な哲学を抱いて20年前から「利器」として認知したパソコンと向かい合っているのがそれを実証している。しかし、今でも殆ど機能を活かしていないが…(笑)。

 当地に転居したお蔭で「栗剥き器」に出会ったことになる。美味に仕上がった渋皮煮の栗を孫たちが競って食べる。「おばあちゃん、美味しいよ」と言いながら食べる光景を見て、満足な老夫婦である。能天気夫婦の幸せ風景ではないか!!

 しかし、「おじいちゃん、美味しいよ」とは一言も無かった!! ≪苦笑≫。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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