前日が片道3時間の乗車時間だったので計6時間、そして昨日は片道2時間半の乗車時間で5時間と(計算上では)なり、2日間で11時間も車中の人となった。疲労は単純な時間だけで嵩むものではなさそうである。
昨日は隔週で通う鍼診療の日であった。乗り換えが3回であることには老体も馴れている。鍼診療もその都度の感度があり診療を終えたから元気ピンピンになる事ばかりではい。薬や注射のように即効性が無い分だけ自己制御が必要となるので帰路が却って厳しくなってしまう時もある。もう12年も通っている診療所なので鍼診療への反応が疲労度に連なることは全くない。疲労感度は、電車内の乗客のマナー等に左右されることに気付いた。
乗車して立っていると、席を譲っていただく「より若い」層の人たちの心遣いに老妻は感謝することが多い。白髪の老妻は「より老けて」見えるのだろうか、と苦笑しつつも、腰痛のために通院している彼女には長時間の立ち姿勢が堪えるのである。遠慮する老妻を促してご厚意を受けるようにさせることもある。座らせていただいた老妻の正面前に立つ小生にまでも、譲り合って座れるようにしていただくことも多くなった。敬老の精神に感謝して辞退せずに恩恵を受けることにしている。そういう気配りを避けるべく、シルバーシートに座席を取るようにしている。
そのシルバーシートで心が萎えるような事態を、昨日は直視してしまった。
正面のシルバーシートに1人分の席が空いていた。年齢は明らかに20代以下の青年が乗車するなりその席を陣取った。青年の隣の席は老夫人である。次の駅でその老婦人の友人らしき人が乗車され、その老婦人の前に立たれた。青年は目を閉じた。老婦人より高齢者らしい連れの女性と替わって席を譲られた。次の駅で小生夫婦の隣の席が空いた。入れ替わりに杖を突いた老紳士とその奥様らしい老女が乗車された。友人に席を譲って立っている老女が、その光景を見て青年に声を掛けた様子だった。恐らく「席を譲って貰えないか」程度の示唆をされたのではないか。寝たふりで聞こえない状態で立とうとしない。小生が座席を立った。妻を横移動させて高齢者夫婦の座席を確保した。恐縮される奥様の言葉を遮るために同一車両の中央部まで移動した。遠くになっても寝たままの青年の姿は見える。幾つかの駅を過ぎて青年が降りたらしい。友人同士の老婦人の一人が小生を呼びに動いて来られた。青年の席に座った小生に向かって正面の奥様が何度も頭を下げられ、大げさな行為ではなかったかと少々恥ずかしくなった。青年の無神経さに疲労感を覚えた。
小生の疲労感度が極致に達したのは車内放送だった。「ご乗車有難うございました。車内マナーにご協力をいただきまして有難うございました。・・・・」。車掌のナマの声だから余計に腹立たしい。機械音なら良いと言う訳ではないが、社員としての研修の成果が上手な顧客対応に繋がっているというのはお門違いである。一軒の家や1つの会社の教育の問題ではない。ましてや、教育機関のみが背負う課題でもない。
国家百年の計は国民の教育にあり。
自国の国民が誇れる国家を創るためにも、幼児時期から青少年期にかけての「教育の在り方」を真剣に考えないと国家は滅亡するのではないだろうか。これって、やっぱり老婆(爺)心?
歩禅記録 16:10~16:50【4300歩】
早朝歩禅のタイミングが狂いました。それは急な冷え込みと気象状況の不安定さからです。今日は、幾つかの用務を済ませるために、久しぶりに夕暮れの街中を歩いて来ました。自宅の裏には陸稲がすっかり実って「首を垂れる」状況になっていました。水稲ではなく陸稲を見ることが出来るのも嬉しいモノです。
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