2012/09/16

講演『旅』日記

★同一校2日間の連続訪問 

≪初日≫

訪問先小学校の教頭さんの車で正門をくぐった。

 視野に飛び込んできたのは、未だ咲いている向日葵と大きく伸びた向日葵の群生(種をとるため?)だった。開始時刻の急かされるようにして業務が開始され、正面玄関で見た向日葵も忘れてしまった。60分間の責任時間を果たして、予定されていた「夜の部」(笑)へ移動して第一日目の半日のお勤めは終了した。

 夜の部の面々は、広島市小学校教頭会研修会事務局スタッフであった。講演依頼を請けていながら当日の広島地方の気象状況の関係から講演が2月に延期されたのである。校外行事から戻ったばかりの教頭さんや学校の戸締りをして最後に学校を出なければならない教頭さんならではの現状から全員が集合するには他の懇親会のように定刻開始時刻は無理である。経験者として十分に理解している。教頭職の激務を懐かしく思い出しながら、懇親に未練を持ちつつも満喫してホテルに送って貰った。通常のリズムとは大きく違って、遅い時間の就寝となった。

≪2日目≫

 山陽本線・広島駅8時20分発の電車に乗って行くと、下車駅の五日市駅前には教頭さんの車が待機している。学校の要請は第2校時から第5校時までの「授業観察と個人指導」である。終日をこの形式で要請される学校は珍しい。何年ぶりでの用務であるのかも忘れてしまっていた。性分から「手抜きの出来ない」小生はじっくりと観察をした。観察終了後の第6校時を個人指導に宛てて計画されていたが時間不足であったと反省した。立ったままの状態で授業を黒板の方から観察する。このポーズは「観察稼業」(笑)を引き受けてから崩していない。4つの授業を連続して立ったままの姿勢で観察するのは確かに激務である。

 激務に耐えるからこそ心底から忠告も苦言も淀みなく出せる。これは、相手の立場を理解しているとも言える。つまり、授業者も激務であることを理解しているということである。しかし、授業者の授業者なりの苦労と努力で展開される授業を評価するのは、よほどしっかりした観察力が無ければ収穫は無い。通り一遍の感想や歯の浮くような褒め言葉では「人は変わらない」のである。苦言を呈されても苦言を呈するサイドがそれだけの激務を意識して発すると、人の心に温かい何かが受け止められるモノだと確信している。つまり、苦言を呈する小生がそんな感動の場面を実体験しているのである。

 個々の批評はこの欄では述べないが、4名の「代表選手」は共通の「伸びる土壌」に恵まれていることである。この土壌づくりが学校づくりなのである。小生は専門誌の依頼原稿にも講演の演題にも幾度となく使用した表現がある。

 授業づくりは学校づくり。学校づくりを勘違いしている校長さんに出会うとこの言葉を発したモノだった。朝から夕暮れまで「学校で営まれる」生業は授業しかない。授業を通して児童生徒の満足感を充足させれば、大上段から振りかぶって「学校経営論」を叫ぶ必要などない。授業を通して指導するのが「生徒指導の基本姿勢」なのである。勤務時間を超えて生徒指導会議をしているようでは教師の伸びる土壌など出来る訳がない。

 授業観察後、本校にはその土壌が作れそうな気がした。研究大会等の学校負担は大きい。教員の多くが避けたがる。生徒指導上での苦労の多い学校では「研究どころではない」という大義名分の意見に押し潰されてしまって折角のチャンスを逸してしまう。そういう学校には「教員が伸びる土壌」は作れない。学校づくりは校長が頑張るモノではない。教頭以下(教員ばかりではない)の全職員の息の合った作業が創り出す産物が『がっこう』なのである。

 11月には県レベルでの研究大会・発表にこの学校は挑むようである。受(請)けて得するのは教師である。得した教師が懸命に授業づくりに取り組めが自ずと学校(子ども達)は立派に成長する。授業の出来不出来等問題ではない。ましてや「授業の失敗」は次のステージへの大きな栄養剤である。若い教師集団が伸びる土壌は、「失敗がわかる」機会づくりしかない。指導されたノウハウでの授業には失敗をみせないテクニックもある。失敗を恐れるような教員は、自らの『教員としての旬』すら気づかないまま徒に加齢していくだけである。失敗に気づく授業づくりに挑んで欲しい。
 

 訪問校の玄関先に咲いていた向日葵には植え付けられている理由があった。驚いた。2005年11月22日に広島市で外国籍の男性に殺害された小学1年生の「魂の炎」が消えないように市内の学校で植えてあるとの事だった。枯れかけた向日葵を大事にしてあったのは「種の採取」のためだと知った。この被害者(女児)の保護者は小生と同郷なのである。葬儀会場も実家の直ぐ近くである。他人事と思えず強く印象に残っていた事件なので、向日葵を見詰め直してしまった。

≪3日目≫

 公務は終わったが、準公務(笑)が飛び込んだ。広島には親しい友人??が多くなった。ご夫婦で面会したいとの申し出が前夜にあり、面会時間を設けた。新幹線の時刻を変更して帰路に着いた。広島遠征(笑)を始めてもう12年が流れ、親しくなった校長さん達も退職され始めている。こうして、情報を得て「会いに来て下さる」人もある程に広島通いも定着したようである。至福の3日間に感謝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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