2012/09/27

「新聞記事」で考える

 ~事件の捜査(17年間)に『幕』は下りても~

 小生は、このように歳月を数字で表現されると必ずと言って良い程考えることがある。それは、「その時点(事件が起きた)で誕生した子どもが◎歳になっている」という着想である。この事件はそれまでの事件では考えられない展開になって、日本列島に戦慄が走った。『想定外』の事件だった訳である。

若干のニュアンスは違いはあるが、一昨年(もう、そんな時間が流れている)の東日本大震災の「津波の規模」も想定外そのものだったようだ。さらに原発の事故という二重の被災も同様に「想定外」と表現する言葉しか無い未曾有の災害となった。事件や事故が「想定内」で起きれば良いということではないが、これからはこの類の事件がしばしば起きるような気がして怖くなってしまう。

 この新聞記事(写真版)の事件は、筆舌し難い内容であった。

当時に生を受けた赤ん坊が、もう高校生である。高校の授業で教師が話題にしても「歴史上の事件」としてしか考えられない世代である。語りかける教師の「言葉の温度」によって、どうにでも理解されてしまうことになるのだから恐ろしい。

 紙面の都合上、同一新聞記事の他の部分は登載できないが、“父の最期 真実を知りたい(故・仮谷さんの長男)”を読むと言葉に詰まる。「父の受けた苦しみをすべて知ることなしに、心から冥福を祈ることはできない」とのコメントに腹立たしささえ湧き上がる。

この記事には被害者の関係者に関するものはないが、多くの(数の測定不能)被害者の関係者には、憎んでも憎み切れない感情で17年もの月日を過ごされたと考えるが想像を絶する思いである。故・仮谷さんのご長男の言葉を読むまでもなく、この事件の真相の解明が一日も早く法廷でなされることに注目をしたいところである。

今日の歩禅記録 17:10~17:45【4000歩】
5歳の孫を連れて老妻と3人で近くの駅周辺を一周して帰ってきました。駅の歩道橋から見える夕陽に、孫が「空が火事だよ」と大声で叫んだので勤め帰りの女性に「そうだね」と返事をされました。びっくりしたのは孫でした(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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