~事件の捜査(17年間)に『幕』は下りても~
小生は、このように歳月を数字で表現されると必ずと言って良い程考えることがある。それは、「その時点(事件が起きた)で誕生した子どもが◎歳になっている」という着想である。この事件はそれまでの事件では考えられない展開になって、日本列島に戦慄が走った。『想定外』の事件だった訳である。
若干のニュアンスは違いはあるが、一昨年(もう、そんな時間が流れている)の東日本大震災の「津波の規模」も想定外そのものだったようだ。さらに原発の事故という二重の被災も同様に「想定外」と表現する言葉しか無い未曾有の災害となった。事件や事故が「想定内」で起きれば良いということではないが、これからはこの類の事件がしばしば起きるような気がして怖くなってしまう。
この新聞記事(写真版)の事件は、筆舌し難い内容であった。
当時に生を受けた赤ん坊が、もう高校生である。高校の授業で教師が話題にしても「歴史上の事件」としてしか考えられない世代である。語りかける教師の「言葉の温度」によって、どうにでも理解されてしまうことになるのだから恐ろしい。
紙面の都合上、同一新聞記事の他の部分は登載できないが、“父の最期 真実を知りたい(故・仮谷さんの長男)”を読むと言葉に詰まる。「父の受けた苦しみをすべて知ることなしに、心から冥福を祈ることはできない」とのコメントに腹立たしささえ湧き上がる。
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