~この月刊誌も知らない人が多い~
『致知(=ちち)』との出会いは、思いがけない雑誌記者の取材申し込み。
教員職も最終ラウンド(=退職までの残任期間から判断して)に入った新設開校の小学校の校長室での取材訪問だった。予約した雑誌記者(女性)が入室して名刺交換をした。雑誌社の名前がわからなかった。何と読むのですか、とも聞けずに取材らしい会話が続いた。記憶を弄っても取材のキッカケは出てこない。
生い立ちから教員の道への経緯を細かく聞かれたことは記憶している。その後、半分は義理で(笑)購読していたが、途中から(時期は不明)登場人物とその内容に惹かれてのめり込んでしまったという訳である。今では、郵便ポストに配達された雑誌は袋を破りながら離れの部屋まで戻ってくるという状態である。
知性と教養の無さを指摘される。
この雑誌は「初発の読書は寝転んで」めくり読みである。毎号のことながら「未知の日本語」と「原義を知らない日本語」との遭遇である。起き上がって座り読みに変わる。真剣に読み込むと、今度は電子辞書を机の脇に置いて調べ読みとなり、終局はパソコンに取り込んだり、メモ書きとしてノートに転写する作業へと進展(?)していく。極論になるが、今では『致知』という月刊誌は「わが人生の師」的役目を果たしていることになっている。
若い女性記者の、「座右銘をお聞かせいただきたい」との要望に応えたらインタビューは終わった。そんな機会も無く改めて『座右の銘』として何かを挙げることになって若干窮したが、『人は人に因りてのみ人になる』という文言が浮かんできた。今でもその通りだと信じている。座右銘の変動は無いということだ。
写真版で見開きの本文を登載したので読み取ることは出来ないのが恐縮である。ワード版で文書になっているのがあるので詳細をお読みになりたい読者諸兄がありましたら、お手数ではありますがメールにてご請求いただきたい。
今朝は雨。早朝歩禅は久しぶりの「降雨のために中止」となりました。明日から「広島遠征」(=広島市の学校へ連続出講)で留守をしますので、当ブログは土曜日まで休刊します。
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