2012/09/24

縁者との繋がり

 ~義母の義妹が墓参に~

 妻の母親は、小生にとっては義母である。

 その義母の実弟の嫁は、義母からみれば義妹になる。『義理』という日本語には妙に深刻感がある。小生の妻を円の中心点に置くと、母親の弟は叔父であり、その奥さんは義理の叔母になる。表現すると堅苦しくなるが、直接の人間関係は実に素晴しいモノがある。妻にとっては尊敬する「(義)叔母様」の一人の様である。

 25年前に、その叔父一家が茨城県取手市の分譲マンションに移り住んでいる。その前に住んでいた福島県勿来市には元気だった生前の母親を案内して訪問したこともある。義母も複雑な家庭で育ったとのことで、母の実弟は異母弟だと言う。実母の死去後の後妻から誕生した4人の子どもの一人だそうだ。歳の離れた(腹違いの)弟と妹の面倒は「母親代わり」に義母が務めたことは、(取手市に住む)叔父は感謝の気持ちで話をしてもらったこともある。

 書き言葉で表現すると複雑であるが、現実の人間関係はスッキリしている。

 昨日は午後2時ごろに来訪の義理の叔母を駅頭で迎え、車で墓地まで行った。同行した末孫が車内の華となって歓迎してくれた。雨も強くなったので急いで帰宅した。

 妻の叔父は昨年の10月14日に他界している。仏式では一周忌であるが、叔父一家はクリスチャンであるので方式が異なる。宗教の違いも「家庭生活文化」に大きな影響があるのだろうが、人間関係の確立があれば何ら支障は無いようだ。

 25年前に茨城県民(取手市)となった叔父一家の後を追うように、姪(=小生の妻)一家が隣接市(土浦市)に転居して来たのも、どこかで何かの「ご縁=仏教用語」があったのだろうと思わざるを得ない。

 叔父の高校生時代は殆ど妻の実家で過ごしていたそうだ。妻は小学校入学前だったらしく確かな記憶は残ってないと言う。叔父の結婚生活は、大阪~石巻~気仙沼~勿来~東京と転勤生活のため、妻も殆ど会っていないらしいが、義理の叔母は律儀に秋の彼岸の墓参に来ていただいたのだ。

 農家直営店から買い込んだ新鮮な野菜をまとめて「お礼」として準備している妻の後ろ姿を見ながら、人間関係の成立は「感謝の思いと誠意」だと実感した。妻の両親も天国できっと喜んでいるだろうと思うだけで心がほのぼのとする。

早朝歩禅記録 
神奈川県横須賀市への出講で時間的余裕が無いために中止

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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