2012/09/25

凝り固まった先入観

 ~こんなに素直な高校生が、まだ、いたのか?~

 昨日は、11月に出講予定の「(神奈川県)横須賀市高等学校教育課程研究会」の事前打ち合わせのために、会場校の下見を兼ねて終日の出向となった。訪問先は横須賀市立横須賀総合高等学校(写真)である。

新幹線を利用しない「旅」の時間は想像を絶する()。8時半前に電車に乗っても、目的地到着まで3時間を要する。時として事故等で遅延に遭遇することもあり、講演旅行も体力勝負となってしまう。しかし、未だ「止めようか」との意思が先行しないので、体力勝負も一種の筋トレとして考えようかとも考えている。

 読者諸兄は小生が、元教師であることはご存知であろう。その職業観から覗いても、「今の高校生は・・・」のボヤキは、ため息交じりで絶望的な声となってしまう。この悲観的なボヤキが見事に打ちのめされたことを以下に述べよう。

 担当指導主事の出迎えを受け、訪問校まで車で動いた。往路も復路も気遣いの解説付きのミニ観光タクシー(写真)として勿体ない気持であった。更に勿体ないと思ってしまったのは、高校生の素顔での応対であった。

 学校長との挨拶を終えて、早速事前打ち合わせを兼ねて、校内の案内を受けた。飛び込んだ教室は「介護実習」であった。笑顔で実習している女子高生(たまたま選択している受講生が女生徒とばかりとの説明)の態度である。「異物を飲み込まんばかりの拒否反応がある」、との先入観はものの見事に打ち砕かれた。一人二人の態度ではないのが奇異にも感じたが、闖入者の立場を忘れて高校生に声を掛けてしまった()。その対応には「現代・高校生気質」の欠片も見えず、拍子抜けしてしまった。実習教室全体に漂う「この空気」は、凝り固まった先入観を払拭するには余りあるモノがあった。

 驚くのはこれだけでない。

 参観した全学級の高校生に同様の空気が流れていたのだから、老脳を刺激してしまった。更に言及すれば、他の高校よりかなり早い時間から始まる「定時制課程」の授業に臨む高校生の授業風景である。ここにも同様な空気が流れていた。

 なぜ?どうしてなんだろう?

 自問するが正解など出せる訳がない。多くの授業を参観しながら、ふと「高校生はこの授業で満足しているのだろうか」との、持病がでてしまった()。今回の訪問はあくまでも「授業・参観」であったが、持病の症状からは「授業観察」の視線が授業を誘導する教師陣に向かってしまった。

 こんなに素直な(高校生らしくない)、自然体での受講者である高校生に、もっと高いレベルの授業を供給できないものだろうか。そんな思いが胸一杯になったところで本日の業務を終えた。

 少し早目に放校して、京浜急行「横須賀中央駅」までお送りいただいて帰路に着いた。上野駅発の特急電車に飛び乗ったら駅構内に人が侵入したらしく30分以上遅延した。高校生諸君の笑顔と授業風景が脳裏を占領していたので、こんな場合の「イライラかりかり」病も緩和され、爽やかな疲労感で1時間遅れの帰宅にも堪えられたようだ。

 今朝のニュースで京浜急行電車の脱線事故を知って背筋が寒くなっています。事故の回復と事故に遭われた方々の一刻も早いご快復を祈るばかりです。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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