2012/09/07

今、我が家の周囲では

 ~炎天下の草刈り~

 このブログを書いている机から2メートルも離れていない地点で凄い音が発せられている。草刈り機の音である。外は痛いほどの炎天下で、休憩(給水)を取りながらではあろうが、農家の人たちが懸命に働いておられる。その光景を見ているだけで暑さに負けそうである。刈り終えた地面からは草いきれの独特なにおいが部屋まで届いてくる。

 自宅の東・北・南の三方が全て栗林である。

 気が付くと、もうすっかり大きく実った栗の実が枝をたわわにして実っている。強い風が吹き付けると落ちてしまうようだ。風が強かった後にはその被害が顕著である。農家の人たちが長靴を履いて点検に回り、踏みつけながら成熟度を確かめているようだ。草が伸びすぎると落ちた栗の実が発見し辛くなるから、この時期の草刈りは回避できないのかもしれない。

 栗農家が何軒も周囲にあるので、隣接地だけの音だけでなくあちこちから草刈り機の音が耳に飛び込んでくる。朝の早い時間からほぼ午前中をその作業に向けておられるのか、午後は全く音は聞こえない。

 転居して直ぐに学んだ言葉があった。

 リンゴ狩り・ブドウ狩り・ナシ狩り・ミカン狩り等々、果物は殆どが「***狩り」と表現されるのに「クリ狩り」は無い。『栗拾い』と言うことに気付いたのである。それは、実際に栗畑に招かれて体験したことから納得した表現であった。農家の方の出で立ちが、長靴と長い箸のような二本の棒であった。(熟して)落ちている栗の毬を長靴で踏みつけて割って中の実を取り出す行為だった。びっくり!知らないとはこんな事か!!還暦もとっくに過ぎた老人が初体験で言葉の成り立ちまで学んだのである。恥ずかしい等と考えなかったところは、やっぱり「変な老人」なんだろうなぁ~(笑)。

 草刈りの終わった隣地の栗畑には既に落ちた栗の実が露出しているが、農家の人たちは「拾う」行為はしない。つまり、収穫前に落ちた未完成品の証しなんだろう。後数週間もすると収穫に適した、毬付き栗の落下が始まるのだろう。急ぎ足での草刈りにそんな「収穫の秋」の訪れを予感させられる。
 
早朝歩禅記録 04:55~5:45【5800歩】
昨夕の短時間集中豪雨の影響?今朝は沼の周囲は濃霧状態。日の出の時刻でも東の空にはその兆候は無し。空を鴨の群れが飛び回っていた。
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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