「その歳になってみないとわからない」ことは良くある。
尊敬した先輩の年齢に追いついた(?)頃、業務上の質量ともに劣っていることに気付いたショックは忘れられない。自分の還暦同窓会の席上で、「目標としていた小学時代の恩師」と再会した。第一次的目標(=「教師になる」)を果たしている事だけをお伝えして挨拶代わりにした。「先生は、何歳になられたのですか?」と聴いておいた。それは、「その歳になったら・・・」との次の道標を造っておきたかったからである。
72歳と答えられた。
年が明けると古希を迎える年齢になった小生には、道標に到着する時点まで2年間の猶予しか無いことを思い出した。恩師の息子さんが、今春、教頭職に就かれたとの情報を故郷の友人から得た。お祝いを述べるのを躊躇ったために不義理をした状態で年を越しそうだ。
小生には、毎年、暮れに開いているミニ同窓会がある。
主体は、小生が公立学校の教壇に「新採用教員」として立った時、入学して来た生徒たちであり、足掻きに足掻いた中学3年生の学級経営の中で卒業して行った学級の主人公たちである。今年も案内が届いたので神奈川県藤沢市まで足を運んだ。会場と自宅との距離があるので、幹事さんに我儘を言ってしまった。開始時刻を5時にして欲しい、と。5時から7時までとの開催時間を明記した案内を貰ってちょっとばかり気が退けたが図々しく出席した。「毎年開く再会の場」は珍しい。
当時の小生は26~28歳の時期を共に過ごしたことになる。
集まった卒業生が55歳になったと言う。時空の旅があっという間に感じるが、もう孫がいると近況報告も受ける時代にもなっていた。それぞれの近況には悲喜こもごもの事件が詰まっている。この春に夫を亡くしたという報告には胸が痛んだ。高校進学の方向決定では懐かしい思い出がある卒業生の一人である。亡母との数多くの面談風景が走馬灯に浮かんで来た。悲しみに負けずに頑張って欲しいと願うことしか出来ない。欠席への義理立てをしている何名の名前が読み上げられた。立派な社会人として生きている卒業生の顔が浮かんだ。タクシーの運転手として参加者を送ってくれた欠席者がいることも報告された。
55歳の頃の小生は?57歳で最後の校長職が始まったので市教委で議会対策に苦悩していた頃だと記憶を弄った。懐かしい湘南電車の車窓には、現役教員時代の楽しかった思い出ばかりが次から次へと浮かんでは飛んで消えて行った。早い時間の帰路の電車に乗れて10時過ぎには帰宅することが出来た。
自力で「里帰りができる」限り、この再会の集いには参加できるように健康管理をしておこうと心に誓って床に就いた。
大変遅くなりましたが、【寸心紀行】(右欄該当項目をクリックして入室)に、広島市立湯来南小学校公開研究会の内容をアップしました。今回から、『観察ゾウさん』が登場して、授業観察の記録を公開しています。
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