2013/12/09

地図の上を「旅する」ことで気づいたことは?


 
 「ひとつの川」が文明を創って来た!

 県内を移動しても同じことではあるが、空路と違って陸路では、地面の上の世界を「風土」化して、大きな変化を景色にして目に飛び込んでくるのを楽しめるのが醍醐味である。こんなに違うモノかと実感することがある。

 往路は茨城県~千葉県~東京都~神奈川県、帰路は神奈川県~東京都~埼玉県~茨城県と2日間を東西・南北の『列車の旅』で車窓を満喫できる時間を過ごした。空路と違って一眠りしても、車窓の景色は続いている。空路は全く同一空間を飛んでいるようで車窓から感動を受けることは殆ど無い。電車の車窓は同じ風景は全く無いので飛んでいく風景への人情も湧き上がってくる。そしてまた、見たくなる。

 現自宅から元の自宅のあった地に電車で行くと、利根川~江戸川~多摩川の鉄橋を渡る。正真正銘の「境川」である。風景も変わるが気温(気象状況)も変わることを実証するのが河川である。地図帳を片手にして記憶力の貧しさに落胆しながら地図帳に「河川名」を記入した日々が懐かしい。今は、東海道新幹線から前後の車窓から全部の河川名が言えるまでになってしまった(笑)。

 昨日は、東京都から茨城県の会場に移動した。そして、任を終えてを在来線を利して乗り換えながら「不便さ」を実感しながら北関東の冷たい風を体感しての帰宅となった。不便さは決して不満ではない。

 会場から送ってもらう自家用車で鬼怒川という川を渡った。栃木県から流れている川である。この河川は「市境」になって行政区域を作っている。川を渡った瞬間から灯りの少ない夜景に変わった。JR水戸線の乗車駅に着いて飛び乗った。水戸線の電車から車窓はほぼ、暗闇であった。良い事だ!!思わず不必要な電飾を嫌っている小生は呟いてしまった。常磐線への乗り換え駅に着いた。25分間も待機時間があって「以前の暮らし」との利便性の差異を痛感した。

 友部駅の待合用の椅子に温かい座布団と腰に当てる毛布の準備がしてあった。何だかうれしくなって利用した。疲れを取り去ってくれるような自然の温もりを感じた。幾つもの川を渡って移動した土地の1つ1つの風情が好きである。

今回の旅は、茨城県内を真ん中で区切ると西部にあたる。東京から北上して(笑)、大小の河川を渡って自宅のある駅に降りる県西部を一周したことになる。3年しか住んでいないので「住まいの空気」は未だ身体は知っていない。しかし、寒い事だけは体感できる。

前日の「旧・住宅」地とは空気の匂いまでが違うことぐらいかわからないが、土地が変われば生活様式も変わる。当然ながら教育に関する仕様も手法も変わる。その差異に「首を突っ込んで」学べることは至福以外に考えられない。

寝坊をした朝の『歩禅記』アップの遅延はお許しくだされ!!
 

【写真】 一昨日(12月7日)、架け替え工事が全て完了した常磐線が走る利根川の鉄橋です。新鉄橋のご紹介は後日しましょう。この日の午後から翌日早朝まで常磐線の千葉県側と茨城県側では乗客も、知らずに駅に着いて大慌てだったことでしょう。
 
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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