2013/12/24

「思い込みの先行思考」に苦笑いの瞬間!



 冬至のゆず湯。

 効能などの詳細には興味関心は薄いが、この歳になると「日本文化を伝承する」と言う観点からか、若干の意識が高まっていることは確かである。日本古来のゆかりの文かは沢山あるのだろうが、殆ど無視と軽視でこの歳まで来てしまった(笑)。

 冬至と言えば、祖母の口調が浮かんで来た。

 「明日から、日暮れが遅うなるバイ(=遅くなるよ・故郷の方言)」と。少年時代に聞いた話では、日没の時間の区切りが着く日であるという事だった。秋の日の釣る瓶落としもそれと一緒に聞いたのかも知れない。日本文化が生んだ日本語の「おくゆかしさ」に感傷する日々である。

 防災無線から5時のミュージックサイレンが鳴った。

 何を勘違いしての思い込みが先行したのか!?他人事表現になってしまうが思わず、この老体に付いている口が発したのが次の言葉だった。

 「随分、日没が遅くなったね~」と。幸か不幸か周囲にこの言葉を聴き取った人はいなかったので反応は返って来ていない。ふと、我に返った老体は、人に聞かれていないことに苦笑いをしながら、このセリフが賀詞を交換する時期に、祖母がご近所の方々と交わした言葉であることに気付いたのである。

 冬至が過ぎると日中の時間が延びる。

 自慢ではないが、理科系の発想や着想は皆無に等しい小生には自然科学分野からの「冬至」の理解は進んでいない。しかし、少年の日の思い出は祖母の「ことば」に寄与することが多い。それが、大きな人生哲学も養成してくれている。

 「思い込みの先行思考」が顕在する限り、苦笑と失笑が共存しているような日々が、これからも続くことだろう。妙に納得した夕暮れだった。
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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