2013/12/23

「来年は、70歳と40歳!」の言葉の重みを痛感したひと時



 転居して同居の長男一家と元気に楽しく過ごしている。

 老夫婦(となってしまった)と長男(すっかり歳とった3児の父親)だけの3人の夕食は、これまでの生活の中でもホンの数回だけである。以前はアルコール拒否症候群に属していた筈の長男が母屋から缶ビールを持参して(ミニ・老人ホーム)の離れにやって来た。今夜は嫁と3人の孫たちは少年サッカーチームの「暮れのお食事会」らしく不在であるらしい。

 小生は焼酎を呑みながら、束の間の「親子の対話時間」を過ごした。

少しは呑めるようになったらしく、アルコールが齎してくれる勢いも付いて来た長男が、「来年は、俺も40歳になるんだよな!」と喋りはじめた。高校進学を考えていた長男に向かって発した(らしい)親父の言葉を、最近は何故か強く感じ入るようになってきたのだと話題は発展した。当時は、何を言っているのか深意など全く分かっていなかったらしい。

 学歴で生かされる人生では40歳からは覚束ない。

 40歳で「疲れ切っている」ようでは次代に示しがつかない。

 わが子に人生を語ることの出来る40歳代の父親であるべきだ。

 順不同であるがこんな内容をきちんと記憶しているらしく吐露した。どんな表現をしたかは、当時の父親にも確かな記憶はない。しかし、内容は、今でも顕在する確かな我が人生哲学であるので、息子の記憶は間違っていない。30歳違いの父子である。計算も正解である(笑)。「人生はこれからが本番」という40歳という節目を迎える息子と、あと10年生きれば目標の年齢=八十路(やそじ)を迎える父親の対話は、25年前とは温度差は違っているだろうが、楽しく弾んだ。

 息子は母屋に戻って行った。

 程なく「お父さん、ただ今!」の声が母屋から聞こえてきた。老父は老妻に語りかけた、「たまには、こんな時間も良いモンだな」と。老妻の眼はTV画面のフィギュアスケートの演技に釘づけ状態だったが、意識は同様だと確信した。通常より一杯多く呑んだ老父は、「ゆず湯」で全身を温めた後、床に就いた。あっという間に寝入ってしまったようだ。

 そして、「天皇誕生日」の祝日の朝。体内時計は3時40分に目覚ましを促してくれた。昨朝の番組の続きをラジオで聴きながら時間を過ごした。インタビューに応える自閉症児と共に生きる「父親」の語り口に今朝も涙を流してしまった。

5時のラジオのニュースで傘寿をお迎えになられた天皇陛下のお言葉を拝聴しながら心に誓った。

 息子が人生本番に向かい合う歳になったのだったら、その父親はそれを確認してやれる厳しい審査官になれるような『矍鑠たる老輩』を目指して、あと10年は頑張らねば、と心している朝である。
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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