2013/12/18

「こんなことってあるの?」って、やっぱり『想定外』!?


 先週は天気予報に惑わされて通院(鍼診療)を断念しました。予報は全くの誤報で午後からも降雨の気配は微塵も無かったのです。天気予報を恨んでいるのではありません。現状を記述しているだけです(笑)。

 2000(平成12)年9月から通い始めた、小生の「健康診断士」の鍼診療院(東京都町田市)があります。

人間ドックで超・高血圧症と診断され、即入院を勧められて精密検査の方向性になりました。ともあれ、自宅に戻りました。長男の紹介で診療師に出会いました。小生に薬の廃棄を勧められ実行を促されるままに診療を受け始めました。当時から13年間の時空を経て、未だ現役の真似が出来る程の健康体にしていただいた診療師です。小生より半年後から妻も診療を受けています。

昨日、突然に「診療所が病院に移る」との告知をされました。瞬間に、「これ以上遠距離に移動されれば通院は不可能だ!」と閃きました。

 旧住所(神奈川県茅ヶ崎市)からはマイカーで90分の所要時間を以って通院できました。転居した現地(茨城県土浦市)からは、常磐線・特別快速と中央線・特快と乗り継ぐために上野駅と東京駅を経由して3時間を要して通院しています。加齢は律儀です。こんな通院の歳月でも確かに「1年に1歳」の加算はあります。時として加齢症らしい考え方が過ることが無かった訳ではありません。しかし、薬の服用の無い快適さを捨て切れずに老妻と(励まし合って?)通い続けて来ました。

 診療後、師が「診療室を新年(2014年)から増やすことにした」との言葉に「どこなんだろう?」と軽い期待の気持ちで聴いていました。「我孫子市にある病院に分室を設けることになりました」との告知に我が耳を疑ってしまいました。

 降って湧いたようお話。

 我が老夫婦は信じ固い「運命の悪戯」に応える言葉が出ません。師の話題に上った「我孫子(=あびこ)」という地名は、駅名にもなっています。現在通院の為に利用している常磐線の沿線にあるのです。各駅停車だけの停車駅ですが、最寄の駅からは45分間もあれば到着する駅なのです。

 片道180分を要する行程にある現・診療院が、往復90分で行ける場所に通院できる場所になったのです。このような運命になること自体が信じられますか?実情を伝えると師は、「そうなんだ!良かったね」と喜んでおられたのですから土地勘も無い様子でした。

 帰路の老夫婦の話題の枕詞は「信じられないけど・・・」から始まりました。帰路の常磐線は特急電車を利用します。上野駅を発ってから20分を過ぎた頃に「我孫子駅」辺りを通過しました。暗くなった車窓を沈黙のまま見詰めている老妻にも過った言葉があったことでしょう。「こんなことってあるんだ!」と。

※ 写真は13年間通い続けた診療院に通うために乗降したJR横浜線「相原駅」です。ここから徒歩で15分の急な坂道を登り切った場所に診療院はあります。
 
 
 
 
 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー