2013/12/25

憧れの「傘寿」と、「エベレストの登頂」とは隔世の感あり!


 12月24日(火) 午後4時半から6時までNHK総合テレビで、≪世界最高峰エベレスト三浦雄一郎80歳の登頂≫のドキュメンタリー番組が放映された。老夫婦の眼は釘付けになってしまった。憧れの傘寿に達した偉人の、想像を絶する挑戦ぶりを撮影したシーンの一つ一つに固唾を呑みっぱなし!!

21日~23日まで、老夫婦の楽しみはフィギュアスケートの優雅な演技をテレビで観戦することであった。子育ては自らの育ちへの反動に似た動きに引き摺られるらしい。南国・九州出身の父親(=小生)は「氷上を滑る」ことが出来なかった。わが子3人をスケートリンクに連れて行ったのは、その引け目をわが子達には負わせたく無かったからである。箱根のスケートリンク(=氷上)までは至近距離にあったので家族で多く出かけたのである。懐かしく思い出しながらの観戦であった。結局は、雪上までの誘導は出来なかった。

阿蘇の山々は少年時代の思い出として残像に明白に映っている。友人が山岳部員だった。国体に出場した友人は「登山の醍醐味」を所構わずに話し込んでくれた。それでも2000メートルを超える高さの山の話では無かった。傘寿の人(=三浦雄一郎氏)が8000メートル級の山への登頂に挑まれた。そして、見事に達成された。画面が見せる全てが別世界であった。梯子状のブリッジを渡られる氏の足元をカメラがアップする。眼下に氷壁の底が見えない。見ているだけで足が竦む。

登頂に挑戦する前に心臓の手術も受ける。尋常の沙汰ではない。いや、異常としか言い様が無い。

あっという間にドキュメンタリーを鑑賞し終えて我に返る。

現実の小生はと比較するのは「傘寿の人」に対して失礼極まりないことである。弁えてはいるものの比較してしまう。凡庸な人生の道を歩んでいる自らをしっかり見詰め直して、平坦な地上の道を一歩ずつ歩むしかない。そんな充実感を貰えたひと時であった。
 
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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