2013/12/12

今こそ『オトナの学力』が必要とされる時代、という意識!?


 オトナの学力とは?

小生は研究者ではないので論拠になるデータ等は保有してはいない。しかしながら、このような新聞記事を視るにつけ「新聞情報」が感情移入という愚かな着想で、「~らしいよ」「~なんだってさ」。だから「サイテーだよ!」との極論に至る。そして、最低の裁量をしたことを認識しないご本人が『うわさ』として無責任な情報を飛ばす。ここにオトナの学力を量ることができない世相がある。いつの間にかオトナに成った訳ではない。義務教育を経てオトナに成っていることだけは確かである。年齢が達すれば誰にでもオトナの冠が被せられる。『オトナの学力』の確認試験などはないのだから、子ども社会が被る害は測り知れない。

「頼りないオトナ集団の大量生産」に歯止めが掛からない現状に憂うのは当方だけだろうか?オトナの円熟度が、子ども社会の成熟度に関連することは熟知している。オトナの至らなさを見せつけられた子どもが自力でオトナ以上に成長するとは思えない。

新聞記事を視(見・観・診・看)る力が求められる時代ではないだろうか?と、ふと考えさせられる朝刊記事に出会った。以下参照。

学校教育では、教科学習の学力を試す手段として「資料を読む力」をつける授業を展開している。まさに授業の成果を評価する真骨頂である。大人社会の体たらくを確認するにつけ「学校教育の方向性」が揺らいでしまいそうである。この新聞記事資料は、「2012年度のいじめの認知件数」の“『1千人あたり』の件数比”一覧である。数値だけを追って、自分の住む都道府県の現状を捉えて一喜一憂しているようでは「オトナの学力」の合格は認定できない。

極論すれば、自治体の「調査への姿勢」に因ることに注目しない限り社会の屋台骨を負うオトナとは言えまい。記事の内容(=解説文)を読んでも理解できるが「データ読み」は、学校教育での「資料の読み方」で基礎基本を学んでおかなければならないことを痛感する。

データを丸呑みして「体制を批判する」ことに馴らされて生きている現代人の落とし穴づくりは容易かも知れない。実に容易に提示されたデータで「騙されるオトナ」が大量に生きていると言えるからである。「立派な人生を過ごした」オトナ達(高齢者)がいとも簡単に詐欺行為に引っかかる現象も大同小異ではないだろうか。心の痛みはオトナ社会の現象まで及ぶことが哀しいのである。

読者諸兄はどんなふうに考えますか?

お知らせ:遅くなりました。去る12月4~5日に訪問した四国・高知市の小学校で閃いたアイディアをまとめて登載しました。ご一読願います。
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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