2013/12/13

いや~、「哀し過ぎる」現状を告知された気分です。



 高齢者とは、65歳以上の年齢に属する人の総称だそうです。

 小生はとっくにその総称(=高齢者に属する)輩です。新聞記事を読んで全身から力が抜けるような気分になりました。「オトナの力」について昨日のブログで力説しました。ひょっとすると高齢者はもう、「オトナ」の域を超越した人種なのかも知れないと考え込んでしまいました。理由は簡単です。今の「オトナ」を育てた人種であるからでしょう。つまり、一世代先を歩いている群団なのです。

 どんな世相を生きて来たのでしょうか?

 小生は終戦(1945・昭和20年)直前に誕生していま。戦争の実体験はありません。高齢者群団の中心は戦後の荒れ野原を記憶している人たちでしょう。戦争孤児と言う名称と共に生き抜いてきた人たちでもあるのでしょうか。親の愛情も満足に享受できないままに「オトナ」になって、戦後の復興に全身全霊を尽くして「マイホーム」のために働き詰だった世代人とも言えるでしょう。

 平均寿命も大幅に伸びて高齢者数も過去最多であるとすれば、件数が過去最多となっても決して不思議なことではありません。見出しの表現が小生の心を哀しくさせるのです。

 戦場に赴いて生死の境を潜り抜けて生き抜かれた世代人の多くがこの世から遠ざかり始めてから数年は経っていると考えられます。戦争の悲惨さを知って育った世代の人たちも世の中の隅に追いやられる時代になっているのでしょうか。時代の流れですから否定するモノではありませんが、「孤立化」に原因があるという警察庁の声明には背筋が寒くなってしまいます。高齢者の息子・娘世代は40~50歳代の働き盛りの種族でしょうか?核家族化の時代に育った子ども達でしょう。

 地方の過疎化も気になります。東京に一極集中してしまう政策にも不満を感じます。成田国際空港建設に命を懸けて闘った世代人が、羽田空港から外国便が新・増発される状況を知ると、空しさで無念さが募って世の中から孤立している意識が増幅するでしょう。
愚痴とも聞こえる小生のぼやきも「高齢者の孤立化」に吸収されるのでしょうかね。高齢者の一人暮らしの数が多くなって社会現象化している世相を「国家的問題」として、そして「国家の存亡」にも繋がる問題として考えてみたいと思う朝です。




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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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