2013/12/21

老妻のタイムマシンに同乗して訪問して来ました!



タイムマシン(=H.G.ウェルズのSFに由来する語)とは、時間の流れを越えて過去や未来に旅行するための架空の機械 【広辞苑】

 低気圧の関係で夕方頃には降雪の予報も出ていた。先方(=小生はお会いしたことが無い同年齢の男性)との日程調整で訪問日の設定が為されているので行動に移すしかない。完全防備の服装で(笑)、指定時刻の電車で訪問先(常磐線・勝田駅)に向かった。 時刻表では50分間の移動時間であったが、老夫婦のミニ旅行の時間はあっという間であった。

 改札駅を出たら電話をすることになっていた。エレベーターで下りる。目の前に待ち人らしい男性は見当たらなかった。再度の携帯電話で交信すると、確かにエレベーターの前に、白い杖を持った老人男性がいる。老妻が見過ごすほどの変貌ぶりだったのだろう。携帯電話を耳に当てながらエレベーターの出口を見詰める老人(失敬!)が佇んでいた。正面に向き合って見て本人同士が分かり合った。

 どのような縁戚関係にあるのかも正確には老妻にもわからないらしい。実母の養父になるのが面会に来た伯母さまの父親のようである。確かな身元調査など不要ではあるが、実母が存命の折りから「近くに引っ越して行かれた(九州から)ので面会に行って欲しい」との要望があったようだ。その願望も実母が他界してから7年も経ての実現だったことになる。

 若い時代の相手を思い浮かべて、駅頭までマイカーでの迎えがあると老妻は思い込んでエレベーターを降りたのだろう。視線の先は駐車場だったことも頷けた。小生は初対面であるので何が何だかわからない状況下にあった。白い杖を頼りに移動する現状までは老妻も想定できていなかったようだ。

 タクシーに乗って、伯母(と、老妻は呼んでいる)が入所している「介護付有料老人ホーム」に案内された。伯母さまは92歳だと自らの自己紹介で分かった。老妻を名前で呼んで、昔話に登場する少女時代の老妻の話に花が咲いた。転倒して車いすの生活になられたこともしっかりとした記憶で説かれ、話が途切れる間もないほどだった。駅頭まで迎えに来てくれた男性が妻を10月に亡くしたばかりであったことは喪中の葉書でわかっていた。

 妻の位牌にお参りして欲しいと懇願され、タクシーで自宅を経由して勝田駅に戻ることになった。老人ホームの伯母さまとは老妻は再会を誓っていた。独り住まいになってしまった(ご長男一家は神奈川県川崎市に住んでいるという)家でお参りを済ませてから帰路に着いた。

 92歳の脳裏には妻の少女時代は鮮明に記憶されていた。飽きもせずに何回も同じことを繰り返しながらもその都度新鮮な表情で語れる症状が、いつかは訪れる我々の現実だと再認識してしまった。

 タイムマシンは、どうやら「未来へも」移動できるらしい。未だ見ぬ未来の世界も覗いて見たくなった、と言えば童心過ぎるだろうか!(笑)
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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