2013/12/19

日本語の「言葉づかいの乱れ」が、気になるのは高齢化の証?


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英語には敬語が無いから気楽で良いね。

 英語と言う外国語を学ぶ上で、これは殺し文句にもなる(笑)。しかし、人間関係上に欠かせないのが言語であるならば、この殺し文句を丸呑みしてしまうのは危険であると言えよう。

 英語圏文化の国々で自由と平等意識が定着しているということは、そこで使用される言語への影響は避けられない。これは当然のことである。言葉が文化を支えるのであるから、「方言(=お国訛り)」も誕生するのである。

ホントに英語表現に敬語は存在しないのだろうか?相手に敬意を言葉で表現するのは日本だけ?

 実は、小生は、敬語以上に意識している日本語の良さは『謙譲語』があるように考えているが、読者諸兄はどのように考えておられるだろうか?謙譲語を英訳して英語圏の人種には理解してもらえるのだろうか。

 今日提示する新聞記事は日系4世の大学教授の弁である。

 小生の論旨とは少々異なるが、『日本語の乱れ』を指摘していると考えるのは丸呑みになってしまうのかも知れない。しかし、明らかに「生活文化」の変化が、そこに定着する使用言語にも互換関係が成立しているように思えるのであるが皆さんはどう、考えますか?

 小生は、やっとこの頃になって「ため口」という日本語を口にすることに抵抗感が消えたような自意識がある。語源も未だに知らないままに、氾濫状態で日常的に耳にすれば麻痺された神経が働いて躊躇も無くなるのだろうか?それでも、気になる「言葉の乱れ」は、やっぱり高齢の証のようである(泣)。

 いずれにしても50年前には「ため口」文化は無かった!!お考えをご投稿下さい。待っています!!
 
※ 新・ブログ【寸心紀行】(右欄、該当項目をクリックして入室)に、新シリーズを登載しました。
ご一読ください。
 
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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