2013/12/17

しっかり「意識しないと」きちんと『歩く』ことができない!?


 仕事に感けて計画的な「歩禅」が遠ざかっていることに気付いた。

 先週の日曜日、茨城県古河市のセミナーに出向して、業務に一段落を打った。気分的にはゆったり感が漂って来ているが、暫く家業(?)を放棄していた身には「やるべき」分担業務が山ほど積まれてしまっているのに仰天である。

 パソコン操作が必要なATM利用の家事業務への対応は、いつの間にか老夫になっている。確かに夫に託している妻の言い分もわかるような気がする。行きつけの郵便局はATMが1機しかないので、行列が出来てしまう。機器の操作に躓いてしまう先客が居ると直ぐにこの行状になるので、当人の内面の苦悩が偲ばれる。妻はその「当人になって皆さんに迷惑をかけるのが辛い」という理由を挙げている。銀行のATMは、また勝手が違うので余計に躊躇心が高まるようだ。理解して、老夫は積極的にこの業務を遂行することにしている。

 もう一つの家業は運転手である。公共交通機関が満足に配備されていない地域なので車社会になっている。県内を移動するになっても車が最優先である。ちょっとした買い物も、自宅から遠く離れた郊外にある大型ショッピングモールまで行くとなると「車無し」では不可能である。妻はいつの間にか買い物のメモ書きを用意するようになっている。運転手が在宅の日を定めて2~3店舗を梯子ショッピングになることは当然である。

 こんな状況下にある生活様式になった間もなく3年になる。

 歩禅という造語を「生活の一コマ」にするためには計画性が必要であることにもやっと気づいたのである。加齢の一途にある小生には少々勝手の違う生活様式になってしまった。その主因は分かっている。転居した時点とは全国からの「要請業務」が増加したことと、遠隔地まで出向するので1回の用務に3~4日間が掛かることである。1週間に2つの用務が重なると分担の家業要務が疎かになる。同時にその負担は小生が被ることになってしまうのである。

 来年も、もう1月初旬から要請業務が入って来ている。

 しっかりと「計画性」を以って、健康の為にも老化の進捗抑制のためにも「歩く」時間を特設すべく心している師走の朝である。





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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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