2011/09/02

台風の中で育った『力』

 ~お祖父ちゃんはね、小さい頃・・・~
 話し出すと真剣に耳を傾ける孫たちがいる。
 小学生のころ、台風が「のろのろして」いたので4日間ばかり学校がお休みになったんだよ。我が子たちにもその話題は提供したことがある。うっすらと記憶しているようだが確認はしていない。孫が「良いなぁ~」と叫んだ。「そんな時は宿題は無いよね」と、質問してくる。当然のことである。これが学校教育に漬けられている証拠でもあり苦笑しつつも成長さえ感じる瞬間でもある。昨日は始業式だったらしいが、「宿題がたくさんあるんだよ!」と言葉を繋がれると同業者(だった)の頭脳が揺れる。宿題を課さねばならない現実問題があるのだろう。余計な心配までしてしまう。
 お祖父ちゃんの口から伝えたいことは山ほどある。効果は期待しないが、「昔々のお話」としてでも同じような自然環境や生活条件に遭遇した時の方が印象付けには効果があると判断している。
 天気図を見ながら「のろのろ台風」の話を蒸し返す。
 小学校4年生だったと記憶しているのは根拠がある。それは担任の先生である。初任者として赴任して来られた先生だったので「指示が曖昧」だった。子どもなりの判断も狂ってしまった。電話の無い時代なので村内の有線放送(?)らしきものから聞く情報が全てだった。来る筈の台風が、ずっと学校を休みにしているのに来ない。しかし、風雨は依然として強い。登下校の危険性も高い。今のように舗装道路完備の状況ではない。堤防の崩れも多かった。川の氾濫も多かった。休校措置は当然であった。しかし、孫世代は「お休みが多くて」良かったとなるわけである。これも当然の人情である。
 雨の日は近所の友人宅に行くのも禁止だった。当然ながら友人の訪問もない。昔の「子育て」は雨天時の配慮もあったようだ。 雨が降ります 雨が降る 遊びに行きたし 傘は無し・・・ と言う童謡の歌詞も浮かんでくる。自転車も傘も予備など無い。そんな中で「子育て」された世代であることが、現状と比較するにつけ、「感謝の意」で振り返ってしまう。
 孫世代は雨の日でも、車で送り迎えで「子ども同士の遊び時間」を確保する時代になっている。かく言う、このお祖父ちゃんも昨日は孫のアッシー君であった。嘆かわしいとは思わないが、時代の流れの大きさを痛感しながら「お抱え運転手」の役目を果たしてしまった(笑)。
 今回の台風も長時間を掛けて日本列島を弄ぶようだ。
 こんな時だからこそ、こんな条件下で「お祖父ちゃんの昔話」をしてあげることに意を決しているバカ爺でございます。冗談は別にして、被害のより少ないことを祈るばかりである。


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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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