2011/09/19

『敬老の日』に思う

 ~「今年 60の おじいさん」という歌詞で~
 しみじみと時代の流れと長寿の延長を痛感する朝である。
 村の渡しの船頭さんは 今年 60のおじいさん 年はとっても 櫓を漕ぐ腕は 元気いっぱい 櫓がしなる それ ぎっちらぎっちら ぎっちらこ 【記憶を弄るため「不明瞭な部分あり」(笑)】
 この歌が作られて歌われた時代はいつごろだろうか?
 少なくとも小生には耳なじみの歌であることからすると昭和初期だろう。当時、渡しの船頭さんで60歳を過ぎても櫓を漕げるのは達者なおじいさんだったのだろう。小生にも村のおじいさん・おばあさんでお元気な方が『60歳』という年齢で健康度を話題にしていた母たちの話題ぐらいは記憶に残っている。自転車も少なかったころ、洒落たおじいさんが銜え煙草でペダルを踏んで町に向かっておられた後姿はかっこ良く目に映ったものだった。母や祖母に年齢を確認したことなど無いが「おじいさん」であったことは事実である。
 先日の情報で、65歳以上の人口の伸び率が過去最高になり全人口の23%を超えたと知った。瞬間は、「自分は含まれていない」状況下で勝手に唸ってしまった。滑稽な話ではないか。栄養状況の良好さに加え医療技術の目覚ましい進歩や手軽に入手できる良質の薬の普及等々が、「長寿の環境」を整備してしまった(?)ことの証明なんだろう。
 妻の伯母は次の誕生日で満103歳になられる。
 耳も健在で電話での通話が容易なことも含めておめでたい長寿であり元気さに驚くばかりである。更に驚くのは、その伯母の「きょうだい」7名が全員健在で末弟が83歳である。しかも未だ農作業に精を出しておられると言うのである。更に驚きたいのは、その伯母から誕生した子ども(妻のいとこさん方)は9名。全員が健在で末娘が昨年還暦を迎え現職バリバリの主婦である。伯母のすぐ下の妹さんも100歳を超えてお元気だというのだから、「長寿」にもそのDNAがあることがわかるような気がする。参考までに(参考にならないが)、父親は戦死しており、小生の母親は既に十三回忌を終えている。きょうだいはと考えれば、6人きょうだいも4歳年上の次姉が健在であるだけで、比較対照の歴然さには言葉を継ぐことができない。
 ともあれ、今日は敬老の日である。
 年金生活を始めて「老人」意識の世界に突入している自意識は確かに存在するが、ここまで同年代以上の人口が多くなると老人意識も増幅できない(笑)。しかし、明らかに世代交代を意識してしまう。それは、自らの足元に「孫世代」が確かな息吹で成長していることを直視するからである。
 せめて、子や孫たちに手かせ足かせにならないようにしたいものだと、妻との会話がそんな話題が多くなったことは「敬老の日」を確かに意識する年代になったことであると潔く自認しよう。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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