~満月の十五夜?~
十五夜は常に「満月」との思い込みは70歳近くになるまで続いていたようです(笑)。
必ずしも満月ではない、とのラジオのコメントに「えっ、そうなのか?!」と小さな声で呟くのはホンのちょっぴりでも恥ずかしい思いが過ったのでしょうね(=他人事的表現)。横須賀での仕事を終えて京浜急行に飛び乗りました。横浜に向かう車中に飛び込んで来た「瞬間の満月」が、丁度ランドマークタワー越しに見えました。都会の十五夜も乙なもんだ!!と自讃しながらうっとりとしてしまいました。シャッターチャンスは逃したのですが老脳にはきちんと(?)映ったことは事実です。保存度は自信ございません。
電車を乗り換えて最終路線・常磐線に乗ると、今度は北千住駅を通過するころにはスカイツリーが車窓全景にして飛び込んで来ることは予想できました。上野駅で買い込んだ夕食代わりのビールやサンドイッチに舌鼓を打っている間に、座る位置も反対側になっていたこともあって「スカイツリーと満月」をテーマにしていた大脳がビールに痺れてしまいました。通過してしまってから夜の景色を追う始末と相成りまして、歓迎してくれたはず(?)のスカイツリーと満月様に申し訳ない思いで電車は江戸川を渡ってしまいました。
空きっ腹にはアルコール度の高低は無関係でしょうか。
出講の疲れを解してくれたビールの愛はすっかり睡魔に代わって老脳が襲われてしまったのです。あっという間に下車駅に到着となっていました。駅からは徒歩で5分で自宅に到着します。九州の友人とウォーキング・トークを楽しみながら満月を愛でつつ帰宅したのでございます。
孫たちと長男夫婦と「十五夜」の宴を楽しんだらしい離れの老人ホーム(笑)には、楽しかった空気が未だ漂っていました。お祖父ちゃんは団子は食べないから、との一方的な結論で既に母屋に運ばれていました。お月見団子はお祖父ちゃんの口には今年も入りませんでした。
入浴を済ませてすぐに就寝。明日、つまり今日は愛知県豊橋市に出向する日程ですから夜更かしは老体には強敵となります。お陰様で今朝も定時(4時)に起床できました。準備も整いました。そろそろ荷物の最終チェックをして出かけモードに移行します。
脳裏にはきれいだった「満月」が残っていました。小さな書斎のテーブルには「用を終えた」ススキさんが3本だけまだ挿してありました。宴の後に浸っている暇もなく今日も新幹線で西に向かいます!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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