2011/09/11

「あの日」から〇〇日!?

 ~だから、どうしたの?~
 同時多発テロから10年が経った。東日本大震災から半年の時間が流れた。
 こんな表現は多すぎる程多い。そこで、「だから、・・・・?」。つまり、何を言いたいのか、と言うことである。我が国では出来たての内閣で、また、大臣が辞任した。東日本大震災から半年も経ったのに回復の目途も立たないのに担当の大臣として就任しながら、「もう辞めるのか」と言いたい。昨日のブログでも触れたが、そこに「主語と目的語」が不鮮明な関係が存在することを認識し合いたいのである。大臣は(主語)、国民の幸せを(目的語)追求する責務は無いのか!と言うことである。
 基準日。
 年度は4月1日であるとすれば、「あの日から」どのくらいの時間が経ったのかは算出は容易である。辞任した大臣の就任期間を算出すのは簡単であるが、国会議員として世に出た基準日を検討してみるのも一考あるようだ。さらに、その代議士を選出した国民の「判断の基準日」は誰が問うのだろうか。最近、軽々に「辞任・退任」する社会文化が日常的になったのは哀しい現状であるとしか思えない。その修飾語として「引責」が付いて回ることを考えると基準日を、視点と観点を変えて「国民の責任」としても追及する必要があると考えるのは可笑しいだろうか。
 大震災で被災された方々の悔しさと辛さを、「国民全体の(責任)意識」として意識し直すべきである。高地位にある人材(特に政治家)には、その選出の時点で洗礼を受けた「選挙」があったという事実を思い出すべきでは無いだろうか。そのように考えれば小生のぼやきも読者諸兄にはご理解できると確信している。
 半年間の時間の流れが被災地にはどのような苦悩を生んでいるのか。
 夥しい数の犠牲者の身内の悲しみを拭い去るには、かなりの歳月が必要だ。ニューヨークで思いもかけないテロ行為で命を落としてしまった被害者を身内に持つ人たちも、「あれから10年」を経て、心の動揺は消えたのだろうか。少しでも消えたという人にとっては、「責任問題」に対応する国家の姿勢が大きなウエートを占めているのではないかと推察する。我が国は・・・?
 ともあれ、「大人げない」風潮の堆積に危機感を覚えて仕方がない。
 政治家諸兄の責任感を疑いたくなるほど対応が生ぬるい。非日常的な事態に、それ以前の法律が有効かどうかはトップリーダーとなる国会議員の「せんせい方」には、既に学習済みではないのか。議員「勉強会」とは保身のための処世術を身に着けるためのモノかと穿って見たくなる。とにかく、急いで「特例中の特例」的発想を前面に出したリーダーシップを期待してやまない。
 大臣として就任して9日間で辞するな!発言の内容には人間性も疑いたくなるが、大臣としての責務とは、失言を顧みて、国民の目線(乱発される美辞麗句)で粉骨砕身(選挙カーから流れる美辞麗句)と取り組んでいくのが政治家ではないのか。
 小生のこんな『ボヤキ』は、加齢症候群として一笑に付して戴いて構わないが、読者諸兄には訴えてみたくなった日曜日の朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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