~『台風12号』さんに真似されて苦笑~
朝の浴室で、時折り自傷行為のような強い雨足にかき消されるようなラジオから流れる気象情報に耳を傾ける。
高知県に上陸したらしい台風は、自転車並みの速度で北へ向かっているとの情報は昨日の午後にはわかっていた。その後、午後4時ごろ「ただ今善通寺市を・・」との情報を得ると、高知や善通寺の先生方にメールを打った。その後、岡山県新見市の友人にも心配のメールを送信したことを記憶を辿りながら、浴室という独房(?)で一人で苦笑してしまった。
多くの機会で出講する土地ばかりだからである。
つい、2か月前に訪れた鳥取市の光景も浮かんできた。広島市や浜松市を除けば、最も多くの時間を過ごしている地名が、この台風の進路で明るみに出てしまった(笑)。
浴室の窓の外では、まるで呼吸でもしているかのように、降っては止み、止んでは降りつける降雨現象の連続である。雨音が聞こえなくなると、この時とばかりに浴室の窓の下から虫たちが存在感を訴えるかのように一気に鳴き始める。すると、また、強い雨が虫たちの声を打ち消すかのように雨粒を地面に叩きつける。まるで天敵同士の闘いのようだ。
台風が運んだ雨雲が1000ミリ以上の雨量を齎したらしい。死者も出ているようだ。自然界の脅威をまた感じる。人間界は、ご自慢の「科学」とやらで対応するのだが、自然界はびくともしない。3月の地震・津波の自然災害で「為す術もない」科学力を、なお信じ続けて直進したらどうなるのだろうか。恐ろしい事態に追い込まれていくのだろうか。人類の生死をかける状況下にあっても、「自らの勢力」を鼓舞するための戦争が地球上から消え去らない。政治力の権力争いに明け暮れしている人間どものの愚かな行為は留まる所を知らない、とは?
『湯禅』のひと時。
旅の情緒を満喫させていただいている大好きな土讃線や因美線からの車窓が浮かんできた、被害の少ないことを祈るしかできないちっちゃな人間の哀しさでもある。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿