
我が子の不登校に悩む母親がカウンセラーの相談を受けた。カウンセラーが優しく心を解しながら発した印象的な言葉を(後日、聞いて)知って凡庸な担任教師は悩んでしまった。それは、以下の表現であった。記憶に拠るもので一言一句まで正確ではないのはご理解いただきたい。
「お母さん、ガンバレ・ガンバレと言ってお子さんを追い込むのは良くありません、頑張らなくても良いんですよ。むしろ、こんな状況では頑張らない方が回復が早いんですよ」。
それは中学2年生の時だった。その後、がんばらないままに卒業まで一日足りと登校して来なかった。3年次は担任ではなかったが、とても気になった生徒でもあった。3年次の担任の報告では、母親まで鬱病になってしまって家庭崩壊の状態であると聞いて、無能な教員として居た堪れなかった。
写真のマークは3・11東日本大震災後に発生したものである。この種のメッセージは日本列島にあふれる程にまで増殖した。こんな広報表現を目にする度に、主語と目的語がはっきりしないことに苛立つことがある。このメッセージは誰が誰に向けて発したんだろうか。
頑張るんだよ。
頑張れるところまで頑張るんだよ
一番辛いキミが頑張らなければ前進できないよ
頑張ってもできないことがあったら応援するよ
オレに出来ることだけでキミを応援する
キミに負けないぐらいオレも頑張る
だから、キミも頑張ってほしい
一緒に頑張ろう
小生は、こんな精神で生徒指導に対応した。
家庭問題で悩んでいる女生徒の話を聴いても解決策などなかった。入り込めないだけではない。当事者が前向きな言動を起こさない限り激励の言葉も空転するからである。吹けば飛ぶような大人の言葉ほど成長期の子ども達にオトナ不信感を増幅させるものは無い。軽率な言葉で話の分かる教師を演じると、気が付いた時には手の届かない自分の殻に閉じこもってオトナを拒んでしまう。
また、近畿地方に大きな自然災害が発生した。東日本のそれとは異質ではあるだろうが、根本的には被災者の意識を鼓舞できる体制が要求されていることは誰も否定しない。誰が、誰に向かって支援するのかを明確にしないと打開策も前進できるわけがない。
支援体制の究極の目的は、「自立を促す」ことにあると確信している。自立は、「自ら」の意識を鼓舞しない限り育つまい。そのためには、自らの「頑張り」は大小、多少に拘わらず必要であることを決して避けては通れまい。他力本願では自立は確立しないと考える。耳触りの良いきれいごとで自立できるなどと甘く人生を考えてはなるまい。教育に関しては特に多い。きれいごとでは人は育たないことをこの哀しい事故(災害)が教えてくれている。
だから、小生はいつでもどんな場面でも、あせらないで現状の「自ら」を見詰め直して、絶対にあわてないで、そして決してあきらることなく「自ら」しか出来ない悪あがきをすることを念頭に置いて生きてきた。大した人生ではないのでこのようにブログで語り掛けることもて照れてしまうが、照れている場合ではないと思い直した。
また、首相が変わった。少々なりとも関わりのあった『松下政経塾』の第1期生が首相となられたとあれば応援せざるを得ない。前述の駄詩は届きもしない首相への応援のメッセージであるとも受け止めて欲しい。ちっぽけな元・教員が、もう首相と同年代になっている卒業生に語り掛けた精神をお届けしたかっただけである。当事者が当事者の責務を頑張らなければこの苦境は突破できないからである。
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