2011/09/17

今日は孫たちの運動会

 ~9月になっても「酷暑」~
 新聞記事やテレビのニュースで話題になったのが、運動会練習中の「熱中症」。
 孫たちと同居して初めての運動会である。以前は前夜から電車を乗り継いで馳せ参じた。そして観戦の疲労感と一緒に再び電車で帰った。かなりの重労働でもあった。運動会の後日は数日間は疲労感との勝負であった、と今朝は苦笑してしまった。と言うのは、孫たちからのリクエストが「お祖母ちゃんの唐揚げ」だったらしい。老妻は3時に起床してそれに応えようと必死だった。わが子の運動会の時でさえ、こんなに真剣に弁当作りをしなかったと豪語(笑)する老妻が、今朝は異常な形相で台所に立っている姿をこの目で確認したからである。
 夏休み明けの運動会の練習はかなり厳しかったようだ。それは異常気象下での練習だったようである。熱中症に神経を遣う学校教育関係者のご苦労が偲ばれる。10年ばかり前には当事者だったことが、今となれば単なる郷愁になってしまう。異常気象以上に異常気遣いの教育界がこのまま続いていくのかと考えるだけでも心が痛む。
 学校教育とは、本来「厳しさを与えそれに耐える」訓練の場である。決して逃避の練習場ではない。言い訳も時には飲み込みながら忍耐と向かい合うことで成就感に浸ることが醍醐味であった筈である。持久走も順位ではなかった。走破することで「人生の厳しさ」に立ち向かう自信を養成してもらった経験値は「学校ならでは」の副産物でもあった。
 厳しさを避け、辛さを省いては「育つものも育たない」ことぐらい大人であればだれでも理解できた。そんな時代を復元しなければ我が国の将来は覚束ない。運動会の練習で倒れるわが子を親はどのように理解しているのだろうか。倒れるまで練習する学校体制が悪いという矛先を向ける大人社会に大きな声で忠告をしたい。倒れないような身体は一朝一夕には出来上がらない。誕生して6年間で学校教育に入会してくるとなれば、誕生後の6年間は実に貴重な時間ではないか。基本的な生活習慣は「贅沢と利便」さでは培えない。規則正しい生活リズムの確立と好き嫌いなく何でも食べられる食生活の習得を避けてしまったのでは小学校の運動会練習で倒れてしまうのは仕方あるまい。その現象に気づいた時点でも、子育ては出直しが出来る。
 異常気象には太刀打ちできないが、気遣い過ぎる程気遣いをして練習を課す学校教育関係者の努力に、せめて感謝することぐらいは要求してもおかしくないと思う。
 孫たちが元気で運動会に取り組む姿を応援するために出かけることにしましょうか。
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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