2011/09/30

重い言葉を聴き留めながら・・・

 ~原爆体験を世界に・・・~
 被爆者の橋爪文さんの体験談を二日間に渡って聞いた。
 早朝の湯舟に半身を浸けながらラジオから流れてくる声を受け止めて涙が流れて止まらなかった。その涙は、語り手の苦しい体験談の内容に対しては当然ながら、そんな歴史的事実を、67年間も被爆国と言われる国に住んでいながら、小生の意識の中では何ら成長していないことに自らの人生に哀しくなったからなのである。
 「ひろしま」という被爆地に、縁を戴いて何十回も足を運んでいる一人の人間としてでもある。
 意識と言う学びを深めていない高学歴者(だろうと自負している)として、そして浅学のために職業を通して次世代に何も伝えて来ていないことがこんなにも哀しい時代を作ってしまったのではないかと思う「自責の念」からの涙であったことも嘘ではない。
 NHKラジオ深夜便「明日への言葉(=4:00~)」の番組から流れてきた被爆者の心底からの叫び(下記)に大きく老脳が揺れた。浴室で聞いたので書き取った訳ではない。従って、一言一句にズレはあるだろうが、こんな内容だとご理解の上で受け止めていただきたい。
 20世紀から21世紀にかけて生きている人間なんて、人類や自然界の生物の生存歴史から見れば、「ホンの僅かな日数」を生かして頂いているだけなのに、その自然界との共存を拒むような利己的な生活の道を選んでいることに気づきましょう。
 御年80歳と言う語り手の生きざまを(言葉だけを聴かせていただいて)耳にしながら早朝から身の引き締まる思いをさせてもらえた。至福の時間であった。東日本大震災で被災され、未だに復旧の恩恵を受けずに苦悩しておられる方々にはお掛けする言葉の力もありません。しかしながら、細やかな口伝だけでも意識して全国の会場で言葉を繋いでみよう。そして、自然界との共存の重要性を説いていくことだけでも意識しなけばいけないと心深く感じた番組であった。
 今日は、神奈川県横須賀市の小学校訪問日である。
 午後から関東は雨らしい。放射能の雨??少年時代に注意された言葉を思い出す。その危険性さえ意識の中で薄らいでしまうことが心配な朝でもある。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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