~自動車点検整備工場を訪ねる~
長男の紹介で整備工場まで車で行った。自己紹介をするとすぐにわかられたらしく実に親しい言葉づかいで対応をしていただいた。孫たちの存在や、両親が神奈川県から引っ越してくることもご存じだったのには度肝を抜かれる思いだった。
「どうですか?少しは慣れましたか」と立て続けに問われるので正直に応えている間に、初対面での距離がぐっと近くなったような親近感が漂った。対応して戴いたのは(恐らく)社長夫人ではなかったのでは?技師らしいつなぎの服装の男性は笑顔で点検への対応をしてもらい、連絡手段を確認されたので当方の携帯電話番号を告げて工場を後にした。徒歩で10もかからずに帰宅できる。
歩きながら、昨日あたりから朝夕の気温の下がり具合が脳裏をよぎった。
何事も「初」モノである。今日の整備工場も初めてであったが、ここまでに、自転車、名刺の印刷、床屋、クリーニング等々日常的に接することの多い業者さんを挙げていけば徐々に増えていることを気づくに至った。日常的な人間的触れ合いという観点から考えると都会と田舎では相違点がありそうだと考えてしまった。茅ヶ崎は都会だったの?そんな自意識はなかったが、「個人的な触れあい方」に焦点化して「都会」という文字を分析すれば、親しみを込めた対話に関しては、当地とはチョッと違うような気がしてくる。それは、「語る」部分が違うのかもしれない。都会という地域には「自らを語りながら生活をすること」には縁遠いような気がする。つまり、自らのことも語らない代わりに相手のことも情報収集をしないで人間関係を保つことを主流とするのである。
決して他人行儀ではないが、しっとりとした潤いのある人間関係は成立していない。是非を問う訳ではないし、どちらが良いという問いかけでもない。
今日の整備工場での「初対面」の扱いにも(長男の存在は確かであるが)、チョッピリ以前の人間関係とは異なることを実感した。午後には整備完了の通報を受け、再び車を受け取りに行った。丁寧にお礼を述べて帰って来ながらも心がぽかぽかする対応であったことを再び感激したほどであった。人間関係成立の条件は「自らを語る」ことを外しては無理なのだろうなぁ~。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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