2012/02/10

中途半端な『歩禅』

 ~たかが「縄跳びの縄」、されど・・~
 仕事が続くとゆっくり歩禅を満喫できない。これは当然の事であり、逆に別の幸せな時間を満喫しているとも言えない訳でもない。しかし、この寒風に向かうのは危険でもあり家人からも注意される状況にあるので歩禅からも遠ざかってしまう。しかし、無性に歩きたくなる時があるのは健康体の証しだろうか。
 広島の校長先生にお約束の資料を郵送する準備が出来たので歩いて行くことにした。郵便局を往復すると約2000歩である。そこから遠回りコースで帰ると5000歩にはなるので歩数計を意識して帰路のコースを考えながら郵便局に向かった。「歩きたい」心境になったからである。「田園コース」を頭に描いて帰路に着いて、ふと、老妻のいつもの苦言を思い出す。郵便局の単なる往復であればもう帰宅している時間である。心配するので遠回りして帰る旨を一報するために携帯電話を取り上げた瞬間のコール。びっくりしながら出てみると孫の声であった。
 学校で使っていた縄跳びが切れたので買って来て欲しい、との依頼である。急遽帰宅して目的のスーパーまで、今度は自転車で走った。結局、歩禅は不完全燃焼で総歩数は5000歩を僅かに超えただけであったが、自転車のペダルを踏む力も軽視できない。楽しくペダルを踏みながら用を足して帰宅した。
 翌朝のこと。

 新品の縄跳びを振り回しながら「行ってきま~す」と元気な声で登校して行った孫が帰宅するなり、おやつもそこそこに庭に出て縄跳び練習を始めるではないか。離れの部屋の障子を開けて見ていると興奮状態で喋り始めた。二重跳びは今まで1~2回しか跳べなかったそうだ。それが、「お祖父ちゃんに買って貰った縄跳びで跳んだら10回も跳べてしまった」、と嬉しい驚きの報告内容だった。更に回数を超えたいらしく懸命に跳び始めた。寒くなったので障子を閉めたが、雨戸の向こうでびゅんびゅんと回す縄跳びの音が暫くは続いていた。
 この現象は、たまたま、いや「丁度の成長時点」で跳べたのであって、縄が新品に変わったこととの『偶然の二重奏』だったのである。運動指導の経験者にとってはそんな選手の瞬間を多く見ている。しかし、孫にとっては「お祖父ちゃんが買ってくれた縄跳び」と言う枕詞が付随してしまったのであろう。
少年サッカーも同級生に誘われての遅い入部だったらしい孫は、ずっとベンチウォーマーだったらしい。しかし、昨年末頃から急に選手としてピッチに立たせてもらっていると親たちからは聞いていた。写真を見せて貰うだけでも「様になっている」動きに成長を感じ取ってはいたのである。「楽しく動け!」と声なき声でエールを送り続けていた大昔の指導者としては運動選手の自然体の成長過程でしかなかった。
 「縄跳び」の急速な進歩。一夜で、しかも縄が新品に変わっただけで成せる結果ではない。たかが1本の縄跳びの縄、されどやっぱり1本の縄である。つまり、その縄は単なる『きっかけ』なのだ。そんな小さな『きっかけ』を活かし続けることが進歩に繋がると確信している。やっぱり地道な普段の努力しか進歩への近道は無い。直接、孫に語ることは親に任せよう。祖父の任務としては、今までどおりに「声なき声」で応援し続けることにしよう。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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