2012/02/18

『現場感覚』のズレは致命傷

~後輩校長諸兄にデータ提供の依頼~
 突然に執筆依頼の書簡が届く。業界の常識なのだろうか。打診が無いのは信頼されているからなのだろう。自己暗示で内容を理解した。返信用葉書の欄には「諾」に丸印で囲んで投函したのが数日前だった。
 早速、編集担当者よりメッセージが届いた。「ご快諾戴いて有難うございました。」と型通りの文章を読み取りながら、またまた気楽に請け負ってしまったと我が性格に苦笑した。しかし、先方からは「先生のお原稿を楽しみに待っています」との、型通りの締めの表現が添えられているのを読み切ると肩の荷が重くなった。同時に少々気も重くなったのが毎度のことながらの「現状」である。
 そこで現場の実態を知るべく、親交のある全国の校長先生方にメールにて執筆内容に即したデータの提供をお願いした。流石に早い返信者があり、現状の生々しいご苦労をまとめた資料が届いた。読みながら隔世の感を抱いてしまった。
 恐らく、これから届くデータも大同小異だろう。小生が訪問する学校では、その多くが「授業研究」だけの目的なので今回の主題とはかなりのズレがあり、校長室での話題にはあまり挙がったことはない。
 しかし、学校全体に活気が無い研究会に出講したりすると、授業研究以前の問題が山積しているのではないか、とご苦労を思い遣ることもあった。雑務に追われたり、生徒指導に疲れたりしている様子を目の当たりに見るだけでも学校教育界の前途多難を感じてしまうのは、経験者だけが抱く『老婆心』なのだろうか。
 経験者の目線から、後輩校長諸兄にエールが届くような原稿を書き上げなければなるまい。そんな深い愛情が募っているわが身に苦笑する。
 外は、また銀世界の土浦の朝のようだ。
 長男が出張で水戸市まで車で出かけるらしい。路面凍結を心配している老妻が早朝からうろうろしている。これも愚息を愛する母心なのか?いや、正真正銘の『老婆心』ではないか、と考える爺であるがいかがであろうか(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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