~モンスター・グランドチルドレンの問いに窮する~
いいえ、2月は明日まであります。
「お祖父ちゃん、2月29日に生まれた人はどうなるの?」
藪から棒の質問を受けて、ハタと考える。そんな生徒がいたような記憶が戻った。誕生日と届出戸籍がズレていても堂々としていた親の時代も同時に浮かんできた。4年に1回しかやって来ないカレンダーの上の「誕生日」だとすると当事者は複雑な心境になるモノだろう。
孫の自らの応えは面白かった。俺たちが20歳になってもその子は5歳だと言うのである。そして、子どもらしく「誕生日のお祝いを貰えることとケーキを食べる」ことも5回しかないのはかわいそうではないか、と言及した。他愛のない原理である。しかし、現実問題としては戸籍上の誕生日はその前後で登録してあるのだろう。
小生の時代には、友人の中には「本当の誕生日は〇月□日なんだけど、祖母ちゃんが死んだりしたのでお父さんが役場に行くのを忘れて▽月◇日になったんだって」とあっけらかんと公開していた友人がいたことを思い出した。
地球は360度の球体。暦は365日。そこに何らかのズレがあるのかな?今の孫の年齢と同じくらいの頃、不思議に思ったことがあったが究明もできず「この歳」になっている。そんな思考回路も今となれば、「そんなことどうでも良いじゃん」と片づけてしまいそうな祖父ちゃんには結構鋭い質問として差し込まれてしまった(笑)。
正しい解答の出来ない祖父を尻目にしながら孫たちは成長していく。その内に思い出したかのように学習したことを祖父に教えてくれるのだろうか。答えに窮する難題を押し付けてくる人種をクレーマーと言うらしい。孫はクレーマーではない。学校教育界ではモンスターペアレンツと呼ぶようだ。聞くところによると、病院にも市役所にも同種の難癖を付けにやって来る人種も居ると言う。つまり、理不尽な要求を突き付ける人種と言えるのだろうが、なぜ、こういう人種が誕生したのだろうか。
3月末日を締切にして原稿の執筆依頼が届いている。
「学校教育」に関するモンスターペアレンツに関する内容である。提供して頂いた資料を原材料にして私見をまとめてみたいと考えている。時期が来ましたら当ブログでもご紹介するつもりである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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