2012/02/11

歩禅記(54)

~田圃の畦道には新芽が・・~
 午後3時から『独り歩禅』を楽しんだ。
 妻が膝の痛み(軽い)が取れないので30分以上の歩行には自信が無いと言う。無理させて歩いて途中で歩けなくなるのはもっと辛いだろうから一人で歩くことにした。行程は「お気に入り」のコースである。先日、久しぶりの挑戦が孫の買い物依頼によって潰されたコースである。陽射しが強く風も弱く、畦道を歩いていても吹きさらしの冬景色の体はなかった。そこには西に筑波山を望む見渡す限りの「田んぼ」の農道が縦横無尽に作られていて少年時代を彷彿とさせる気分爽快な場所である。転居して数日後にはこの地点での「歩禅」に嵌ってしまった程である。
 農協直売店への買い物を頼まれるコースでもある。今日も例外ではなかった。じゃがいもと里芋をリュックに詰め込んでの帰路だったので、背中には久しぶりの汗をかいてしまうほどの陽気だった。
 アスファルト道路と違うのは足裏に弾力があるような感覚で歩ける事か。膝を痛めている妻には逆に歩きづらい道路であることを実感しながら歩いた。ぽくぽくと地面が柔らかくなっている所の陽だまりには、黄緑色の雑草の新芽が春が近いことを伝えてくれた。まだ田んぼには農家の人たちの姿は見えないが、栗林の中からはチェーンソーの金属音が響いてきた。剪定でもされているのだろうか。ひょっとしたら春の準備に取り掛かっておられるのか?こんな素人判断も楽しい。そこには正解が無いからである。藤原和博氏の新聞記事(下記・転載)を思い出しながら足も弾んだ。7000歩の歩数で今日の歩禅は終了した。春も、確かに、息吹を感じさせている田んぼであった。

僕は「正解主義」と闘う! 藤原 和博
 オヤジの背中では教えられないこと
 これからは、もう成長社会は終わったことを心していかなければならない。とくに20代、30代の人たちに意識して欲しいのは、教えられてきた成功例が機能しないということ。自分の父や母、あるいは先生が事あるごとに言い続ける「言われた通り努力すれば、人生は安定する」という考え方では、求めているような成功ができない時代になっているのです。まずその呪縛から、自分自身を解き放っていかなくてはならないですね。
 かつての成長社会の特徴は、必ず一つの正解があると信じられることでした。そういう教育を小中高、大学受験とたたき込まれてきたのですが、例えば4択問題。「走れメロス」を読まされて、帰り道のメロスの気持ちに一番近いものを次の四つから選びなさいと設問がある。つまり一つの正解がこの中に必ずあると断定されているのですが、本来、正解なんてあるわけがないのです。みんなにとって正しいことが一つあると同じ方向に努力できた時代には、疑いも持たず、自動的に素直な吸収力を発揮すれば成功のルートに乗れた。記憶力が良くて、頭の回転が速い人を優秀なやつだと言っていましたよね。受験や就職で勝ち抜いてこられたのは、この能力でした。
 
僕が今、変えたいと思って闘っているのはこの「正解主義」、それから「前例主義」「事なかれ主義」の三点セットです。これが教育界に蔓延しているので何とか崩したいのですが、そこに共通しているのは、自分の頭と心で考えないこと、ではないでしょうか。(以下・略 1月8日朝日新聞)

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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