~お祖父ちゃんの「授業参観」~
前夜は帰りが遅かったので当日の朝、孫から案内を受けた。
「お祖父ちゃん、今日は居るの?」と切り出した小学4年生の孫。「五時間目は1時45分に始まるけど、僕の発表は2時過ぎだと思う。授業を見に来てください」との招待の弁であった。同居して10か月が経ったが、その間には数回の授業参観や保育参観の機会が得た。当初は何もかもチグハグで同伴者の老妻がどぎまぎしたとの声を耳にしても聴解力も鈍っていたようだった。
やっと「鬼」から「仏」の眼力に替わった。
教員稼業一筋の人生では「授業を観る」(=授業を観察する)ことは自らの糧に直結する重要な時間である。批判や疑問や閃きが錯綜する貴重な時間でもあったので「鬼の形相」と言われても仕方が無い程真剣な眼差しで授業者と向かい合ったモノだった。
晩年は授業を観察して「授業者を指導する」役回りが回って来たので、只ならぬ『鬼の目線』になってしまったようだった(笑)。酷評で何人、いや何十人の教員を奈落の底に突き落としたのだろうか。小生自身は、事実に即して評価して、改善点を追求したばかりだった。「歯に衣を着せぬ」という切り口だとも評価された。決して授業者を扱き下ろして容赦なく叩きのめした等と考えたことも無かった。その辺りのズレが見たことも無い架空の動物(=鬼)が代名詞として使われたらしい。
「二分の一・成人式」という学級活動が本日の授業参観の内容だった。
10歳の子ども達が20歳(はたち)になった自分に語りかけるスピーチの発表が授業として保護者に公開されたのである。鬼ではない「お祖父ちゃん」の眼には、孫や良く家に遊びにやって来る数名の子ども達だけがアップされ、決して比較したり評価したりしない耳で気持ち良く最後まで聴くことが出来た。
そして、転居したばかりの夜、父親とお祖父ちゃんが酌み交わすビールを見詰めながら孫が発した言葉を、また思い出した。「僕が20歳になるまで生きていてね」と言いながら「そうしたら、お祖父ちゃんと一緒にビールが呑めるからね」と言葉を繋いだ。感激したあの夜のシーンを思い出しながら孫のスピーチに耳を傾けるお祖父ちゃんには「仏の目」線であったことは誰も疑うまい。
「今日は随分落ち着いて参観出来てましたね」。帰り道の妻のこの一言が、鬼から仏への「化身の証し」ではないだろうか。信じていただけますかな?(笑)
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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