2012/02/22

穏やかな春陽の東京

 ~浅草から亀戸まで~
 書道用具専門店の寶研堂まで出向いた。
 豊橋市の小学校訪問(1月27日)の際に「豊橋筆」の制作を直に視察するチャンスに恵まれた。その会社の代表が浅草にあるこの専門店に「筆作り・実演」を兼ねて上京されるとの情報を得ていた。訪問のお礼を申し上げたくてお目にかかるために訪問したのである。予告も無しにお店に入ったにも関わらず直ぐにお分かりいただいて感激した。今日は妻同伴での訪問だった。我が妻は茅ヶ崎の自宅で30年余り「書道教室」を開いていた。「筆作り」にも興味が深く、豊橋市の制作現場から電話を入れた時点でも羨ましいばかりの声で反応した。面会して紹介すると専門的な業界用語での会話が弾み、ひと時を満喫できたようであった。
 お店を出てタクシーで亀戸天神まで移動した。先日TV画面でその境内から見る東京スカイツリーが大変素敵だったとの妻の意見が、今日の現場検証の実現となったのである。たまには妻の要望も「取り入れる」ことも重要であると判断した(笑)。実は、20日が妻の誕生日でもあったからである。この歳(?)にもなると、今更、「おめでとう」の言葉も照れ臭い。
しかし、同居する孫軍団はお祖母ちゃんのお誕生日は願っても無い嬉しい日のようである。それは両親が買って来るバースデーケーキを食する絶好のチャンスだからなのだそうだ(笑)。
 亀戸天神周辺の「うどん屋」さんで、細やかな老夫婦だけの「誕生祝い」と称して昼食を食べて早めに帰る予定で中央総武線で秋葉原駅に向かった。乗り換えて上野駅方面行きの電車に乗った瞬間、妻の携帯に電話が入った。嫁から長男孫が学校から早退したとの一報である。
 連絡を取り合いながら帰宅した。心配した程の高熱は無かったが元気は無かった。祖母に「豆腐・熱さまし」を要求して東部に当てながら気持ちよく眠った。早めに帰宅した母親に連れられて病院へ行った孫も帰宅時点ではかなり元気も回復していた。長男(父親)がお祖母ちゃんへのバースデーケーキを買って帰宅した。一気に盛り上がってバースデーソングも小さな離れの小さな老人ホーム(笑)の中に響き渡り大賑わいとなった。
 一頻りの賑わいが母屋へ戻って行くと老人ホームにはいつもの静けさが戻って来て入浴を済ませて床に就いた。母屋軍団には東京での爺婆だけの細やかな誕生祝の事は内緒である。孫もどうやら眠ったようである。妻も同居して初めての祝宴に満足したことだろう。忙しい一日だったが装着した歩数計は1万歩を超えていた。

写真は、滅多にカメラを持たない老妻がシャッターを押したものです。少々傾いているのが芸術品だとご理解願います。ここからの東京スカイツリーのアングルもホントに素敵でした。境内の梅はもう少し経つと見ごろになりそうでした。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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