2012/02/21

歩禅記(55)

 ~『春陽』紛いに誘われて歩く~
 気温の低さと風の冷たさに怖気づいた老体から、「ここんとこ歩いとらんなぁ」と九州弁が飛び出した。歩き出そうと身支度をしながらふと気づくような穏やかな陽射しの昼下がり。ズボンのポケットに歩数計(=通称・万歩計)を入れたまま洗濯してしまったことが浮かんで来て苦笑である。大事な「歩禅の友」を亡くした気分であったことも思い出した。今日の歩禅は先ず「旅の伴」を買い求めることから始めることにした。
 街中にあるドラッグストアまで向かう。自宅から店までは当然ながらアスファルト道路を歩く。歩き出して暫くして、耳慣れない音に気付いた。それは通過する「車」から聞こえる音であった。新しい「旅の伴」を得て意気揚々とお気に入りの田園コースに進路を変更して歩き始めた。行き交う車によって「気になる音」が聞こえたり聞こえなかったりする。
 何の音?何故なんだろう?車の種類やメーカーの違いでもない。サイズでもないが、大きい車ほど「音」が明確に聞こえる。自問自答しながら歩き続けた。
 「車の足音」が違う?
 当地でも1週間前辺りから雪景色が多くなった。今日の温かさが嬉しくなるような気温の低さが続いた。これは転居者の顕著な感想である。寒冷地での冬の装備は愛車のタイヤ交換であることに気付いた。温暖な湘南(=神奈川県茅ケ崎市)では何年に一回の10数センチの降雪でも翌朝の道路は車の放置状態が多かった。それは雪道や凍結道路を走るタイヤの準備が無かったからである。小生にも路面凍結の道路でスリップ事故を起こした苦い経験もある。
 雪も降っていない。路面が凍結もしていない。そんな通常のアスファルト道路をスタッドレスタイヤで走行すると路面とタイヤの面との摩擦は異常な音を発するらしい。気にすれば気になる騒音である。しかし、ご当地では許容範囲であろうか。スタッドレスタイヤを装着した車を運転したことが無い小生にはこの音には愛着が無いのかも知れない。
 そんな音から解放される。田園地帯の農道はやっぱり快適である。地面の弾力性に足も疲れる。しかし、この方が歩きやすい。
 畦道の弾力性を足裏で感じ取る歩禅は全身に柔らかさが伝わってくる。心底から温もってくる快感である。寒さや冷たさに耐えるのも「あと一息」だろうか。そんな思いが足元から伝わってくる快適な歩禅は「新しい歩禅の伴」が6000歩を示してくれた。目標の1万歩には達しなかったが満足の歩禅だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー