2012/02/26

老化を和らげるには「刺激」に限る?

~フォーラムでの発言に学ぶ~
 学びは、やっぱり刺激によるモノが大きいらしい。
 刺激は老脳にとって最良薬だと確信して帰宅した。至福の時間として受け止めることが出来たことが参加の最大の収穫だった。哀しいかな、同業者の発表には同業者ゆえの性があり、時として嫌味にも聞こえ老脳が拒否反応をしてしまう。なぜ?それは自らの過去に同種の悪足掻きをしていたことの証明なのかもしれない。 「元・校長」と言う過去の遺産で喰っている人種と会うと反吐が出るほど不快な気分になる。このことを昨日のフォーラムの会場で思い知らされた。
常磐線の車中で飛ぶように流れる夜景を見詰めながら自己嫌悪の自らと闘いつつ酔いも覚めての帰路となった。と、ここまで記すと落ち込んでいる小生をご想像なさる読者が多いと思われる。しかし、小生を知る人ぞ知る本性は「一夜明けると只の人」となり、暗い影を引き摺りたくても引き摺れない朝を迎えてしまうのだから始末が悪い老輩である。
 ともあれ、刺激的な学びを得ました。
 この歳になっても学ぶ??そうです、学んだのです。ブログでは表現出来ませんが、どこかの研究会でこの学びを『角田明流』にアレンジしてご披露申し上げましょう。その作業を今日はゆっくり、これから始めることにいたします。夜来の雨も上がりました。一雨ごとに春も近づいているのでしょうか。
 フォーラムの会場でいただいて帰って来た『ミサンガ』(=被災地の皆さんの手作り)に思いを馳せながら、一日も早い震災地の復活を祈る朝です。

0 件のコメント:

コメントを投稿

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー