2012/02/13

「遅まきながら」と非礼をわびる非礼状


 ~気抜けした「お礼状」は無意味!~
 小生にも小さな人生哲学がいくつか存在する。
 そんな中に「お礼」への哲学がある。真心を込めて謝意を表すること。小さな親切にも大きな声で誠意を示すべきだと学んだ。分かりきっていても時として蔑ろにしてしまう。人格形成上でも許しがたいことである。その落とし穴は「後で・・」であることぐらいはこの年齢にもなると百も承知である。
 やっちまった!!
 言い訳の上乗せでは更に失礼となるので止める。自らを責めながら「遅まきながら」の意を込めた締めの表現を借りて完成させた。それは、去る1月21日に実施した第10回新春教育講演会にご参加いただいた皆さんへの「お礼状」の葉書の投函である。現役時代には部下(同僚)には、かなり厳しく「お礼」の姿勢を説いたわが身が恥ずかしい。極端な例を挙げる。「礼状は事の前に作っておけ」と豪語した。研究会のお礼状は案内状とセットで作っておいて、研究会を終えて帰宅する時点でポストに投函するぐらいの用意周到な事務処理を強制したものだった。
 お礼状がとどけられる関係者として考え出した哲学である。気の抜けた礼状は意味が無い。賢者の部下(後輩)からは反発もあった。翌日や翌々日に届いた礼状には形式だけしか伝わらず真意や誠意は伝わらないのではないか、と。しかし、哲学には動揺はなかった。本当の謝意はその後の「交信する」姿勢で十分に染み込んでいくので、「取り敢えず」礼儀としての態度だけは確立すべきだと考えたのである。
 遅まきながら投函できるように完成した葉書(裏面=写真)の内容を確認を済ませて表書きを確認しながら背中から冷や汗が流れた。会場受付での住所・氏名の記入が不履行であったことだ。全体記念写真を眺めつつゾッとしてしまった。何らかの形でお届けしようとわが心を諌めながら、「遅まきながら」の言葉に屋上屋を重ねるわが身のいい加減さに堪らなくなっている朝である。
 せめて事務局から届いた、「次回の情報」だけでも載せてお詫びの「こころ」を伝えて心からお詫びしたいのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー