2012/02/19

一本の電話

~おじちゃん、元気ですか?~
 登録していない電話がかかる。「誰だろうか?」と若干の躊躇。
 凄い時代に生きているモノだ。電話のベルが鳴ると飛びついた時代が遠い昔に感じる。手持ちの携帯電話も自宅の電話も関係者の電話番号を登録しておくと呼び出しと同時に画面にその名前が表出するので相手がわかって対応できることになる。数字だけの表出には少々臆病になることもある。
 夕暮れ時。
 「はい、もしもし・・・」と電話に出ると、若い男性の声らしい元気なトーンが耳に飛び込んできた。「おじちゃん、元気ですか?」との第一声。直ぐに発信者の顔も名前も判明した。「お~っ!!」と歓声のような声を出したのでキッチンの妻にも聞こえたようだった。「どうした?」と問いかけようとしたら先方から言葉の猛ラッシュ。「結婚式が決まったんで・・」と続いた。
 昨夏の記憶が戻った。この電話の主は直系の親族ではない。その嫁になる女性が妻の遠縁に当たる。妻は一人娘で育ったので本家のきょうだい(兄弟・姉妹)がそのもののお付き合いをして貰っている。その本家のご長男(82歳)の孫娘が電話の主のお嫁さんになるわけである。従兄の孫であるから妻から見れば何親等に当たるのかな?従兄の二男(神奈川県厚木市在住)がこの「花嫁さん」の父親である。
 茅ヶ崎市の自宅を処分して転居する予定の拙宅に二人で遊びに来てくれたのが初対面であった。新居探しをしているという二人が拙宅にやって来たのも妙縁である。茅ヶ崎に住みたいという阪出身の花婿さん。新婚さんの住まいにするにはお門違いだろうが遠縁の関係もあり、「家が空くので住んでも良いぞ」、との小生の声掛かりで親近感が増幅したようだった。
 会社との折り合いで、結局、通勤距離の近い場所で新居を選択することになったようだ。その後の接触は無かった。転居と言う新しいリズムにバタバタする老夫婦の生活は他人のこと等すっかり忘れての生活が続いていた。
 「おじちゃん、結婚式の日取りが決まって・・・・」と、式に出席して欲しいとの電話であった。日程は既に従兄の二男(花嫁の父)から一報が届いていたので知っていた。80歳を過ぎた花嫁の祖父(妻の従兄)も上京してくるという情報も届いて、妻も再会を楽しみにしていた。「おい、俺達まで結婚式に出るのかい??」という小生の声に怯むことも無く「出てくれますよね」と、まるで甥っ子のように強請り声であった。
「わかった!日程を入れておくよ」で電話は切れた。
 爽やかな心情が狭い「離れ」の私製・老人ホーム(笑)の部屋に棚引いた。5月GWの連休明けには日程は何も入っていない。従兄夫妻は孫の結婚式(東京)に参列して、その足で土浦に眠る妻の両親の墓参も計画しているらしい。従兄の叔父に当たるのが妻の父親である。
 叔父の墓参まで連なる「お祝いの宴」に上京する従兄との血縁の濃さと、それを大事にする一族の温もりを感じた「一本の電話」であった。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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