歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
2012/08/04
「東京オリンピック」直前の人間関係
~「おじちゃん、僕です」~
突然の電話では声で相手を判断は難しい。
数日前のことです。愛知県岡崎市に住む3人の子持ちの「お父さん」からの電話でした。下の男の子が野球少年らしく、その支援のために上京しているとの内容でした。試合に勝ったので今夜まで東京で宿泊するとのことになったので電話をしたと言うのです。翌日は神宮球場で決勝戦だと案内をしてくれました。
結局は神宮球場にも行けず、宿泊ホテルでの面会も出来ないままに今回も再会を果たしていません。「おじちゃん」と呼ばれても縁者ではありません。おじちゃんと呼ばれても年齢の差はさほどありません。小生が高校生の頃、確か、七五三のお祝いをして貰っていた、近所の幼児だったのです。なぜか、妙に懐いていて大学入学のために故郷を離れる時に挨拶に行って泣かれてしまいました。
時は流れて、幼児も成長して高校野球選手として活躍したようです。生前の母から情報は届いていました。高校卒業後、トヨタ自動車KKに就職して愛知県(岡崎市)に定住したようです。都市対抗野球(東京ドーム)への応援案内を貰った時、妻と一緒に観戦したのが僅かに(再会は)1度だけなのです。その後も会うことなく何十年も過ぎているのに、事あるごとに(忘れたころに)電話をくれるのです。
小さな関係と言えば、幼児(当時の)のホンモノの叔父が姉と同級生でした。小生とも幼友達だったと言うことでしょうか。大学を卒業して帰省してお土産を持って訪問した時、びっくりするほど背の高い高校野球選手になっていました。帰京する折りに、「就職して上京したら会おうか」と言って別れました。その言葉を今でも記憶してくれているとは嬉しいことです。
今回も本当に電話だけで終わってしまいましたが、その内に機会があったら再会したいモノです。
※今日から茅ヶ崎に出講します。旅先からのブログ発信はありません。ご了承願います。
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自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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