~校長時代の愛読(?)から始まって~
『MOKU』(黙)という月刊誌は一般的にはメジャーではなさそうだ。校長時代に電話での勧誘があり、「全国の多くの校長先生方が購読なさっていますよ」とのセールス台詞に負けて(笑)年間購読をしたのがそもそものキッカケである。数か月の配本にも「読む気になれぬ」雑誌の部類になってしまった。1年間の支払いは済んでいるので仕方が無いか、との開き直りで「積んどく」状態で包装されたままの状態で書斎のゴミと化してしまっていた。
期限近くになると追加購読の勧誘が続いた。中身の関心度を訊かれ、現職(=校長)のプライドを擽って来た。「今後の当誌編集の参考までに一番興味があった記事を2点ほど教えて欲しい」と迫られた。配本を開くことが一度も無かったとは立場上(見栄?)格好がつかないと追い込まれ、数日後の返事を約束して慌ててページをめくった。この雑誌には「教育関係の記事」は全く無いと言っても過言ではない程に掲載されていない。「学校」という二文字が見当たらない雑誌であった。
結局次の年間購読も強いられる始末であった。
不思議なモノで業界用語以外の月刊誌には「見たことも無い」人物が「これでもか!」と連続して掲載される。周知の会社の社長さんの写真を見ながら記事を垣間見る。そこには松下幸之助なる人物の「人となり(=生き方」がイヤと言うほどまでに記述されていた。決して偉人伝ではない。インタビューの回答者は大学の教授ではないか。読み込みながら没頭していく自分に気が付いた。
今回の書斎の引っ越し(=転居)で、本棚の整理のためにも「処分して」しまうつもりでいた。ところが、2000年5月号の当月刊誌(写真2枚)を棚で見つけると決断が緩んだ。それは、当月刊誌に記事登載のために小生が取材を受けることになってしまった。「我が人生の転換期」となる大事件の物証が本棚に在るではないか。
あの当時のセールスウーマンは「嘘をついた」のではなかった。取材を受けた内容を記事にされて「月刊誌」として全国に発売されると凡庸な小生の人生が一変してしまった。全国からの問い合わせも電話や手紙で届いた。その反響の高さでこの月刊誌には以後、教育に関する記事が定期的に掲載され始めたのである。
主宰する教育実践『響の会』の広島(支部)の発足の引き金は、この月刊誌を読まれた広島市立井口明神小学校の当時の校長先生からの熱心な訪問要請だった。あれから十年余、広島県には百回を超えるほどの訪問が続いている。
2年間の連載記事も書かせていただいた。教師が教育関係雑誌だけでなく異種業界との接触が必要だとの『学び』を得た月刊誌でもある。そして、この月刊誌MOKUはいつの間にか『献本』として配送して頂いている愛読月刊誌である。
今日は7時には自家用車で県内(古河市)の会場に出講する予定である。従って貴重な「早朝歩禅」はお休みである。ラジオからは「君が代」が流れている。女子レスリングの選手(=小原日登美)が金メダルを獲得したようだ。興奮して放送するアナウンサーの声が早朝の時間であることを忘れさせている。
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