2012/08/13

「◎年ぶり」と言う日本語


 ~オリンピック放送で拾った表現~
彼に会うのは5年ぶりだった
  It had been five years since I saw him last.
これは7年ぶりの豊作だ。
  This is the biggest harvest we have had in seven years.

 競技種目名と「4の倍数」年数を大きな声で実況担当アナウンサーが叫ぶ。昭和39年開催の東京オリンピックの記録(結果)から、だとすれば48年間が過ぎている。「48年ぶりの快挙」となる訳だ。競技種目によってはオリンピックが最大の競技会となればそうなることは理屈として理解できる。

 今、閉会式の放送を聞きながらブログを認(したた)めている。

 この華やかなスポーツの祭典が4年後の大会まで開催されない。スポーツ選手ほど幸運と不運の落差が激しいモノは無い。記録勝負の世界では来年なら世界記録に挑戦する勢いがあっても4年後には??これが人生なのか?

 ともあれ時差をものともせず(笑)、ロンドンからの情報に一喜一憂して、嬉しくも哀しくも涙する国民感情が、日常生活の立て直しにも役立つことを期待したい。大勢の日本人が競技会場に「日の丸」(国旗)持参で応援に出かけている様子が画面からも良くわかった。要らぬ世話だろうが、「どこからこの旅費を工面してるんだろうなぁ」と思わず呟いてしまうのは小生の貧乏性なのだろう。

 東京オリンピックから急成長して、我が国は世界経済のトップの座に君臨したそうだ。その陰りに追い打ちを掛けるかのように東日本大震災に見舞われた。経済優先の国家戦略体制には大きな落とし穴が出来ていたようだ。綺麗なキャッチフレーズを掲げて震災後の復興に向かっている筈であるが、国会の体たらくを見るにつけ、国民の危機意識など全く受け止めていないと腹立たしく思うのはこの爺だけ?

 4年ぶりのオリンピックという祭典の功罪は認知しつつ、国内の生活や経済危機の立て直しに真剣に取り組まないと、島根県沖や沖縄県沖に「佇む孤島」にまで外国の政治力が忍び寄っている。この小さな不穏な状態が大事件の引き金にならなければ良いが、と心配をするのも貧乏性だろうか。

 被災地の人たちの苦悩が、該当しない地域にはいつとはなしに「無関係」を装う風潮になってしまうのは日本国民感情の歴史になっては不味い。1945年8月6日、9日そして15日。あれから何年経った?忘れさせないぞ、その警鐘が2011年3月11日に大きく打ち鳴らされたのだ。まだ1年少々しか経っていないのに「無関係」は無いだろう。せめて、自分の出来る範囲での意識ある「関係作り」の灯りは消したくない。   
 ◎年ぶりに再会する被災者と、正面から対応できるためにも・・・。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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