2012/08/22

鳥取県の人口


 ~オリンピック選手の凱旋パレード~

 考え方は状況や条件に因って違うでしょうが、「50万人が銀座通りに集結した」現状は、読者諸兄はどのように考えられますか?ロンドン・オリンピックで活躍した選手(=メダリスト)の凱旋パレードが東京・銀座で開催されたそうです。当日のテレビ報道は全てのチャンネルがこのニュースでしたね。史上最高の数のメダル獲得は喜ばしい知らせとして皆さんが受け止めていることは十分に頷けます。

 どこか、何かが感情表現にズレを感じているのはこの爺さんだけ?

 金銀銅のメダル獲得を目指して他者には言えない、言ってもわからないほどの選手の皆さんの「血が滲むほどの」努力精進の姿勢を非難する気持ちは毛頭ありません。小生も中高時代を通して現役の選手として(比較にはならない!=失言)自分なりの世界に嵌った経験を通して十分に理解できるんです。職業に就いてからは指導者として選手養成に、形振り構わぬ(制裁や暴言を振って=反省)人生をやり抜いて来た人種の端くれでありますので成果への表現も十分にわかっています。

 このような観点から、大小さまざまに評価の切り口が存在することは皆さんにもお分かりになる事でしょう。くれぐれも誤解の無いようにお願いしたいのは大活躍した選手の皆さんにケチを付ける気持ちなどではないことです。

 感動と勇気を与える活躍は素晴らしい。卓球もバレーボールもサッカーも、午前3時から応援した当事者としては、ご多分に漏れず肩が凝る程まで力んでしまいました。そして、感動で目頭が熱くなりました。

 結果を、どのように報道するか?

 ここが問題のような気がするのです。受け止め方は様々にあるでしょうが、他社には負けないだけの手段で取材して報道することへの疑問が小生の老脳のどこかに「素直に受け入れられない」感情が盛り上がってきているのかも知れません。全ての人に、その人なりの「旬」があるように、選手の皆さんにも「旬」があり結果(メダル獲得)が付いて回ることを考えてあげたくもなるんですよ。このオリンピックが1年後だったら?僅か1年間で『旬が過ぎて薹が立つ』状況下に追い込まれて出場さえ危ぶまれる人生を歩む人がいることを考えてしまうからなのです。

 「銀座凱旋パレード」の画面を、屈辱の思いに苛まれて自らの人生への愛着すら失する選手の数の方が、遥かに多いと言う事も念頭に置いて報道を受け止めるべきではないでしょうか?日本選手として出場した全選手がパレードに参加出来たら?不可能な設定なんでしょうかね!?

 障害のある人たちのオリンピック(=パラリンピック)もあるんですよね。苦境に立ち向かって涙ぐましい努力と周囲の温かい支えで、恵まれない環境下でメダルを獲得する(障害と闘う)選手の皆さんにも、今回同様に銀座をパレードが設定されるのでしょうか?メダル獲得数が史上最高でないて無理??

 鳥取県の総人口にほぼ匹敵する数の応援者が捧げた歓迎の気持ちが、正真正銘の『感動と感謝』を共有できるような『報道』を期待したいんです!!いかがでしょうか?末筆ながら活躍された選手に「感動を有り難う」と申し添えておきます。感想はメールでお願いします。

早朝歩禅記録 04:30~05:20【6300歩】
日の出の時刻より30分ぐらい前の東の空が、昨日と同じ様な模様でした。今朝は蒸し暑く「早朝の清々しさ」とは縁遠い空気でしたが、元気な散歩励行者と会うと元気になります。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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