2012/08/15

後退する学校教育


 ~校外行事の事故報道が過熱して??~

 学校教育の一環として実施される校外行司が「事件化」される度に、怯んでしまう学校教育に心が痛む。今回の大阪の中学校の「学校行事(=山岳での部活動)」でマスコミが当日夜から騒ぎ始めた。幸運にも一つの命も落とすことなく全員が無事に発見され安堵した。関係当事者の神経摩耗も分かりすぎる程わかるので、次回への実施を逡巡する気持ちも十分に理解でき。

 この種の事故が(学校現場で)起きる度に、関係者には目に見えない軋轢が加わってしまう。それは肝腎な「命令権者」の怯え腰から来るのである。責任追及への矛先を逸らすためだけの措置が降りてくる。中高生の時期に「心身を鍛える」ことは必須である。現代社会の「地域」にはその能力は期待できない。学校教育しかその対応は出来ない現状であることは誰もが承知している筈である。しかし、今回のような校外学習での事故が起きると、「二度とこんな騒ぎを起こされては・・・・・」と、行政からも自粛を促す指導が入るだろう。そんな事件や事故が起きるたびに指導が加わり、自粛指導が「中止を決定してしまう」文化にここまで変容して来たのである。

 中高時代に「危険と隣り合わせ」の生活を通して危険を察知する能力を養うかどうかで、将来は大きく変わるのである。皮肉にも自然災害が猛威を振っている時代になっている。何も知らずに父親や母親になったら、「真の危険」を我が子に語り継げる能力など存在しない。親から基本的なことを教わっていない子どもたちが学校に入学してくる。同様の時代で生きてきた教員も中高時代の体験が無ければ誰が指導(経験)できるのか?

 学校が準備したバスに乗り込んだ今回の中学生の一人がインタビューに対して「自然の厳しさと怖さがわかりました」と応えていた。この生徒は父親になってわが子にもこの事実を伝えることが出来る。この連鎖が「教育である」と断言したい。一つ間違えは「いのち」を落とすことになる修羅場を通り抜けたこの経験は、次世代にも好影響を与えられることを考えると希少価値である。

 来年度から中・高等学校の夏季休業中の行事から「山岳訓練(=仮称)」なる課程が消えるのだろうなぁ。遠足や登山等々、年年歳歳学校行事から消えているようだ。車社会の弊害が、将来の青年たちの逞しさを軽減してくれている(笑)のであれば、せめて、『歩く』『走る』『登る』だけでも鍛錬する教育課程を創ってくれないと次世代の発展は覚束ない。

 家庭教育の所為に等出来ない時代の到来だ。
 最早、家庭には教育力が期待できない程崩壊状態である。我が子の躾けも、ろくに出来ない親が自己主張だけのために「校長室に怒鳴り込む」現状だそうだ。その相手に四苦八苦する管理職の気力が萎えてしまっているとは本末転倒ではないか。真面目に「学校教育の謀反」が必要ではないか、と考えてしまうのは無責任すぎるのかな~?。積極的な生徒指導は保護者指導であると考えれば考えるほど、教員には生き辛い世の中になってしまったモノである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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