まだ、孫にとっては夏休みは残っている。
爺婆住む離れの和室は、母屋の玄関へのアプローチは正面である。来客が車を止めて降りて玄関に立つまでの一部始終が見える。夏休みの宿題を仕上げている5年生の孫が、「あっ、弟の担任の先生が来た」と大声をあげた。祖父ちゃんには担任の先生の顔と名前など一致などしない。母屋の二階にいる弟の名前を呼んで、老妻が玄関に回る。暫くすると、その弟が兄を呼びにやって来た。
孫二人と老妻が離れに戻って来た。茨城県教委からの通知文の写しと学校長からの発信文書が届けに担任の先生は来られたようだ。在籍児童の全家庭を手分けして『家庭訪問』をしておられるとの状況を老妻から聞いた。
今回の大津事件(いじめ・自殺)以降、やっと大人社会の「重い神輿」が上がり始めたようだ。衝撃だった愛知県西尾市で起きた同様な事件から何年経ったのだろうか?と、ふと考えた。その後も社会情勢は教育行政や学校教育関係者を責めるだけの状況は変わろうとはしなかった。当然ながら当事者意識(教育行政や教員集団)の高揚が立ち遅れているのも哀しい現状であった。そして、今回の哀しい事件が起きてしまって、貴重な「いのち」を消してしまった。
西尾事件とは? 1994年(平成6年)11月27日、愛知県西尾市立東部中学校2年の男子生徒(当時13歳)が、自宅裏の柿の木で首を吊って死んでいるのを母親に発見された。葬儀後、自室の机から「いじめられてお金をとられた」という内容の遺書が見つかった。西尾市教育委員会による調査の結果、同級生11人がいじめに関わっていることが判明し、主犯格の4人が恐喝容疑で書類送検された。4人は、小学6年生の頃から自殺した生徒にたびたび暴行を加え、金を要求していたことを認めた。被害者から脅し取った金額は少なくとも110万円と報道されている。1995年(平成7年)4月、3人が初等少年院に、1人が教護院に送致された。その後生徒たちによりそのようなことが二度と起きないようにと「ハートコンタクト」と呼ばれる生徒による自主組織が作られた。活動としてはクラスの様子を見たりしている。11月の命日に近い日にいじめ集会を行い、意識を高めるようにしている。現在も活動を続けている。
家庭訪問を終えて、孫たちに手を振りながら帰って行く先生を、離れの部屋から見送りながら、「ご苦労様でした」と心の中で呟いた。同業者の単純な同朋意識からではない。西尾事件から18年も過ぎてしまった今、「子どもの喧嘩なんだから」との高み見物では済まされない程深刻な問題となっている。大人社会の人間関係構造(抑圧社会)がそのまま子供社会に転写されていることに大人は責任感を持って接するべきだ、と考えているので、教員(学校)による夏休みの「家庭訪問」の行為(好意)にエールを送りたくもなったのである。
月刊誌・中央公論9月号に、『いじめと原発と抑圧社会』という時評論文を読みながら、この思いを深くしている。
早朝歩禅記録 04:30~05:25【6400歩】
朝陽が昇ってくる時間には歩禅コースの帰路になります。行き交う散歩人が口々に「今日も暑くなりそうですね」と言葉を交わし合う。沼の湖面から上る蒸気で靄が発生している。
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