~脳裏を掠める「被害届」~
歩禅の脳回路には、昨日の出来事も出没するが「気になる」事象がその往来を激しくする。そして、前を見据えながら足元に気を配りつつ思考回路に登場する案件を考えながら歩くのである。
「堰を切って流れ出した水」の如く、「いじめの被害者」から警察に提出される『被害届』のことが、今、最も気になる事象である。この問題現象は根が深い。後日、改めて触れることを約束しておこう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
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