2012/08/10

早朝歩禅記(8)


                                           ~脳裏を掠める「被害届」~

 前半戦で1点を失った女子サッカーの決勝戦を耳に押えて4時35分に早朝歩禅に出発した。昨朝は出講のために歩禅は避けたが、一昨日の朝は途中でUターンするほど気温が低かったので外気を予測して長袖長ズボン姿で外に出た。曇天なのか思った以上に暗い。目的地の鶴沼までの林の茂みからは秋の虫たちの合唱が大きく飛び込んできた。いつの間にか、やっぱり秋は確かに近づいている。

 沼の散歩周回コースに人影も少ない。やっぱりロンドンオリンピックの観戦なんだろう、と勝手な予想を巡らせながら歩く。湖面に映る街灯の灯りが周囲の暗さを証明している。蓮田には満開の「蓮の花」が見える。遠くに見える筑波山の姿も霞んで見える。一周を終えて沼を離れる瞬間に東の空が赤くなった。湖面にその光が映っている。早朝歩禅の季節も残り少なくなってきたようだ。続けるとすれば5時出発位に時間差が必要だと感じながら、行った道を帰って来る。

 歩禅の脳回路には、昨日の出来事も出没するが「気になる」事象がその往来を激しくする。そして、前を見据えながら足元に気を配りつつ思考回路に登場する案件を考えながら歩くのである。

 「堰を切って流れ出した水」の如く、「いじめの被害者」から警察に提出される『被害届』のことが、今、最も気になる事象である。この問題現象は根が深い。後日、改めて触れることを約束しておこう。

 帰宅してラジオを付けると、女子サッカーの決勝戦はロスタイムになっていた。アナウンサーの悲壮な叫びぶりからも敗戦濃厚を感じ取った。勝負には文字通り「勝者」と「敗者」が創出される。受け止め方は当事者の感性に委ねるべきである。多くを感情的に語る場合ではない。要らぬ同情や華美なる称賛は、時として「伸びる芽」を摘んでしまわないとも限らない。なぜならば、本当の「実態や実情」がマスコミを通じて届けられる主観的なモノだからである。ともあれ、ホンモノの勝者は「勝って驕らず、負けて恥じず、自らを戒めて次のステージで自分を活かすことができる」者であると信じて止まないからである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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