2012/08/01

初めての『施餓鬼会』

~「この歳になって」と、知らないことの多い事!~

 昨年の今日は仕事で横浜に出向いたので、この『施餓鬼会』に臨むことはできかなかった。実は、時々「知らない」出来事に遭遇すると内心では「この歳になって知らないなんて」と恥じ入ることがある。知らないことを恥じ入る心境ではない。

 取り分け宗教的行事になるとまるっきり「初物」尽くしである。生まれ故郷で18年間を過ごしたとは言え、お盆の思い出は「盆踊り」での遅くまで友人たちと話し込んだことぐらいしかないからである。実家の宗教は仏教であることぐらいは知っていても宗派には全く頓着し渡ことも無かった。宗派に従う「お盆」行事も全く知らずに育ったようだ。結婚した妻の実家も宗派は偶然ながら同じだったので、違和感もなく過ごしてしまった。結果的には、義父母は墓を作っていなかったことが、婿である小生への「人生勉強」の課題を与えて貰えることになった。

 平成19年8月に母、11月に父が相次いで他界した。

 長男一家と同居することを考えていたので、義父母の「お墓」を作ることは話を進めていた。幸運にも長男嫁の実家は観音寺と言うお寺さんであった。8月に他界した義母は特別養護老人ホーム(故郷・熊本)に入所していたのでその設置者である寺院との契約で浄土真宗派のお寺で葬儀を済ませた。遺骨をここ(土浦市)の観音寺にお墓が出来るまで預かって戴くことにした。そこで、住職(嫁のお父さん)から、宗派が違うことの指摘を受けて愕然とした。

 観音寺は真言宗の寺院である。義母は浄土真宗の僧侶によって葬送の儀を済ませている。戒名の付け方も違うのだそうだ。説明を聞けば聞くほど「知らない世界」にどっぷりと嵌ってしまいながら困惑した。「仏様に成ってまで宗派の違いは無いですよ」、との観音寺の住職の一言で救われる思いなった。仲の良かった義父母が墓を別々にしなくて済んだ瞬間だった。義父は茅ヶ崎で最期を終えたので土浦市(観音寺)で葬儀を済ませることができた。お墓も出来たので埋葬も無事に終えてホッとした。あの光景からもう5年の歳月が流れている。

 しかしながら、この判断は他の住職には無いかも知れない。そんな思いが大きくなり、娘である妻は心から感謝しているようだ。散歩コースで墓参が出来るからである。

 宗派の違いによる戦争が起きている外国のニュースも他人事ではない。そんな思いを巡らせつつ、心から感謝して今年は『施餓鬼会』の行事を務めることが出来た。新しい塔婆を境内の墓地に運び、古い塔婆と交換して帰宅した。今日も暑い一日だった。(7月31日)


        ≪早朝歩禅≫
8月1日(水)04:35~05:25【6100歩】
 遥か南西の空に台風でも近づいているのでしょうか?北関東の空模様もいつもとはチョッと違うような気がしました。柿の実がこんなに大きくなっています。
 猛暑日が続いているのに、季節は確かに秋に向かっているようです。
 オリンピック観戦で寝不足ではないでしょうか?体調管理にお気を付けください。


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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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