昨年の今日は仕事で横浜に出向いたので、この『施餓鬼会』に臨むことはできかなかった。実は、時々「知らない」出来事に遭遇すると内心では「この歳になって知らないなんて」と恥じ入ることがある。知らないことを恥じ入る心境ではない。
取り分け宗教的行事になるとまるっきり「初物」尽くしである。生まれ故郷で18年間を過ごしたとは言え、お盆の思い出は「盆踊り」での遅くまで友人たちと話し込んだことぐらいしかないからである。実家の宗教は仏教であることぐらいは知っていても宗派には全く頓着し渡ことも無かった。宗派に従う「お盆」行事も全く知らずに育ったようだ。結婚した妻の実家も宗派は偶然ながら同じだったので、違和感もなく過ごしてしまった。結果的には、義父母は墓を作っていなかったことが、婿である小生への「人生勉強」の課題を与えて貰えることになった。
平成19年8月に母、11月に父が相次いで他界した。
長男一家と同居することを考えていたので、義父母の「お墓」を作ることは話を進めていた。幸運にも長男嫁の実家は観音寺と言うお寺さんであった。8月に他界した義母は特別養護老人ホーム(故郷・熊本)に入所していたのでその設置者である寺院との契約で浄土真宗派のお寺で葬儀を済ませた。遺骨をここ(土浦市)の観音寺にお墓が出来るまで預かって戴くことにした。そこで、住職(嫁のお父さん)から、宗派が違うことの指摘を受けて愕然とした。
観音寺は真言宗の寺院である。義母は浄土真宗の僧侶によって葬送の儀を済ませている。戒名の付け方も違うのだそうだ。説明を聞けば聞くほど「知らない世界」にどっぷりと嵌ってしまいながら困惑した。「仏様に成ってまで宗派の違いは無いですよ」、との観音寺の住職の一言で救われる思いなった。仲の良かった義父母が墓を別々にしなくて済んだ瞬間だった。義父は茅ヶ崎で最期を終えたので土浦市(観音寺)で葬儀を済ませることができた。お墓も出来たので埋葬も無事に終えてホッとした。あの光景からもう5年の歳月が流れている。
しかしながら、この判断は他の住職には無いかも知れない。そんな思いが大きくなり、娘である妻は心から感謝しているようだ。散歩コースで墓参が出来るからである。
宗派の違いによる戦争が起きている外国のニュースも他人事ではない。そんな思いを巡らせつつ、心から感謝して今年は『施餓鬼会』の行事を務めることが出来た。新しい塔婆を境内の墓地に運び、古い塔婆と交換して帰宅した。今日も暑い一日だった。(7月31日)
≪早朝歩禅≫
8月1日(水)04:35~05:25【6100歩】
遥か南西の空に台風でも近づいているのでしょうか?北関東の空模様もいつもとはチョッと違うような気がしました。柿の実がこんなに大きくなっています。
猛暑日が続いているのに、季節は確かに秋に向かっているようです。
オリンピック観戦で寝不足ではないでしょうか?体調管理にお気を付けください。
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