2012/08/24

この歳になっても嬉しい話


 ~「育てる」ことの根源~

 いつもより、(こんな時に限って)30分間の寝坊だった。

 4時半には早朝歩禅に出発するのでメールチェックの時間を考えると1時間前には起床したい。ところがこの頃は受信メールも極端に少なくなっているので30分ぐらい遅く起きても時間的には余裕がある。そんな油断?この歳になっても良くあることではある。

 愛知県の中学校の校長さんからメールを受信していた。

 活字を読みながら老脳の奥底から湧き出す「元気の泉」が、寝ぼけ眼球まで達するのに長い時間は要しなかった。内容と個人情報の関係からここでそのメールはご披露できないが、この歳になっても嬉しい話であった。

 この校長さんは「人を育てる」センスを持ち合わせている。長いお付き合いをさせてもらっているので、事あるごとに感じていた個人的な印象である。「豚もおだてりゃ・・・」ではないが、この歳になっても元気がでるような「嬉しい話」を送信してくることがそれを証明している。小生を知る後輩諸兄にはご理解いただけないだろうなぁ。(笑)わざとらしい「おだて」には決して乗らない性分だからである。

 「育てなければ育たない」とは、小生の教育哲学の一つである。

著名な書家・あいだみつを氏の書にあるように『育てたように子は育つ』(写真・左)の裏付けであると考えている。人を育てることはとても重要である。しかし、難しい。しかし、教員道を選んだ諸氏には、この本務を携えないでは教師としての威厳も築けなければ、教え子に尊敬されることもない。

青年時代に叔父に言われた言葉を思い出す。と、大学卒業の報告をした時に「おめでとう」代わりに突き付けられた言葉が「一人で大きくなった顔をするな」であった。戦死した父の一番下の叔父であり、育ての親でもある。

 一人では成長しない。今となれば良くわかる。

 誰かに、あるいは何かに触発されて「育つ」とすれば、今朝の受信メールは、こんな歳になっても「育つ」エネルギーが注入されたことに接触した、と言っても過言ではあるまい。

 哀しい話題では人は育たない。この歳になってもこんな嬉しい話が届けられるとは、やっぱり小生は「幸福男」である。(感謝)

早朝歩禅の記録 04:30~05:25【6300歩】
コースでは、いつもより『靄』が迎えてくれた。朝陽が射しこむ前の瞬時の風景である。帰路の民家の生垣には「最後の自らの世界」を生き抜いてている朝顔の群生に季節の移ろいを感じた。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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