2013/01/29

引き際も「いろいろ」

 ~「引退」とは一つの節目~

 新聞記事(=写真版は『寸心紀行』・右欄枠をクリック)を読みながら懐かしく教員時代を思い出している。

世間を騒がせている「運動部」の指導をしている時である。しかも、それは中学校運動部の中でのことである。3年生になって公式試合が全部終了すると部員は「先輩たちが引退する」という時期を迎える。

 可笑しくないかい?15歳になったか、ならないかの「時期」を引退すると言う言語文化は教育文化には不似合いに思えて仕方が無いからである。この場合の「引退」は、バトンタッチの時期でしかない。これを学ばせることも運動部の指導者の任務と考えている。

 高見盛という関取は大相撲ファンの小生は当然ながら知っている。最後の土俵もライブのTV画面で観戦していた。アナウンサーの言葉を裏打ちするかのように、土俵を下りた関取を取り囲むカメラフラッシュの海を歩いて画面から消えた。解説者も「引退」という言葉を数回発した。独特な仕草でファンを呼んだ関取だったので小生もわかってはいたが、詳細は知らなかった。大勢の力士が誕生して多くの引退力士もあり、盛衰している業界である。そんな業界の中でここまで記事になることを考えるとこの力士の存在感(=『プロ』意識の評価)が、「引退する」節目で高く評価されたのだ。と思わざるを得ない。引退したこの力士には四股名から「年寄」という新名称が待っているという業界である。今度は指導者の役目を担うらしい。正に「新しい世界」への橋渡しとなる「節目」であることの証明である。

 引退とは新旧交代であると同時に新世界への旅立ちである。

 予定より1年早かったが、小生にも「引退」の節目はあった。その日からこの3月で9年間の歳月が流れることになる。この新世界には引退はない。この引き際は自らが独断するのである。色々な『引き際』があることも承知している。そんな思いをじっくり考えさせられる力士の引退であった。
 
ファンを魅了した仕草の裏を初めて知った。心から「お疲れ様でした」と言いながら、新世界での新たな活躍を期待していることも併せて伝えておきたくなる力士でもあった。 

事務連絡:明日(1月30日)より2月2日まで休刊します。新ブログ『寸心紀行』も当然ながらこの期間は休刊します。その後も、講演遠征の日程上から2月10日までは「飛び石」状況での休刊になります。ご了承ください。

2013/01/28

インフルエンザの猛威

 ~大事な仕事を前にして~

 いっその事、早めに罹ってくれれば、と願っても思うようにいかない。

 孫たちが次から次へと罹って病院通いで嫁(母親)もクタクタになる。疲労度が頂点に達した証しに自らも罹ってしまうようだ。我が家の母屋軍団の流れがそれを裏付けてくれた。それをずっと看病した老妻も、ついにダウンした。残るは・・・?自問すると流石に怯え腰になってしまう。側近の老妻にまでインフルエンザはやって来ている(笑)。時間の問題かな?臆病虫が蠢くような錯覚をしてしまう朝である。

 31日から要請の仕事が入っている(広島市)。

前泊をしないと学校の要請時間には訪問できないので30日には現地入りしなくてはならない。

 その前哨戦として九州の老妻の実家のことで更に2日前に熊本に帰らねばならなくなっている。つまり、明日の始発の電車に乗る日程で先方とは話がついている。ところが、当の本人がダウンしてしまった。インフルエンザともなれば先方に迷惑が掛かってしまうので、この件は延長するしかなさそうだがこの状態で小生も羅漢者と判断されると考えるとお断りするしかないだろう。

 では、学校に対しては大丈夫なのか?考えれば考える程複雑な心境に陥ってしまう。年間行事に穴を開けてしまうのも気が重い。

 今朝も定時に起床して、老妻がする雑用をしていると(03:42)震度4の激震に襲われてちょっとビックリした。ラジオが今日の天気を予報している。寒いらしい。

2013/01/27

『器械音痴』の自己嫌悪

 ~ウォッシュレットが故障?~
 

 正月明け辺りから様子がおかしかった。上手く流れたり流なかったりするのが気にはなっていたが、「完全停止」状態に陥るとパニックである。早速、工務店から戴いているメーカーの使用説明書を開いてみる。製品番号と照合しながらトイレを往復する。故障であれば母屋のトイレが使えるので日常的には不便は感じない。しかし、排せつ物が流れないままの状態では平静さを欠いてしまう。

 説明書を片手に30分ばかり往復していても埒が明かない。今度は、「ウォッシュレットの故障」と入力してパソコンという文明の利器を頼って検索を始める。目に飛び込んできたのが、「リモコンの電池がキレている場合」の文字だった。電気で全てが動いているという錯覚が往々にしてある。コードを繋いで電力で運転していることだけが脳裏を支配しているのだろうか。全く思考回路に存在しなかったリモコンの「単3電池2本」の威力をイヤとなる程に気づかされた。

 慌ててトイレに飛びこんでリモコンを抜き出して持ち出す。買い置きの電池を収納している電池を取り出して交換する。それでも「器械音痴」には自信はない。こんな電池でウォッシュレットと言う文明の利器が簡単に動くわけがない。老脳は始末悪い。つまり思い込みが先行するのである。

 電池交換を済ませたリモコンをはめ込んでボタンを押してみる。

 全く可動しなかった「立派なウォッシュレット様」から音を立てて気持ち良く水が流れるではないか!心配顔の老妻にも安堵感が戻った。小さな電池2個でこんな大きな動力を稼働させているのか!?老脳には衝撃として十分に文明の利器を意識できた筈である。

 しかし、この衝撃の効果は時間と共に消滅する(笑)。つまり、またパニックに遭遇すると文明の利器に振り回されてしまうことになるということである。

 そこで、「老脳の二句」をご紹介します。ご笑納ください。

文明の 利器に泣かされ 老いを感じ 今朝の寒さに 立ち往生  龍峰

 文明の 利器で助かり 無駄な竿 挿さない知恵を 悟りたり   龍峰

2013/01/26

新・ブログへの誘(いざな)い


0126記

 読者諸兄 各位

 お早うございます。
 元旦から新ブログ(=『寸心紀行』・右欄枠内をクリック)を発刊しました。3年ばかり使用した当ブログ(『歩禅記』)は、アップするのも使い慣れていますので自由自在ですが、新版はサイト管理者が違いますので使い勝手が違います。悪戦苦闘中のままで、ほぼ1か月が過ぎようとしています。

 いずれは、この『歩禅記』も組み込んで制作することは既にご案内の通りです。取り敢えず、写真付きのブログの場合は新版にて制作することにしています。遠慮なく覗いてみてください。読者諸兄も「目が慣れない」と読みづらいかも知れませんが早晩、こちらに転居しますのでご理解の上お努めをお願いします。

 今日(土曜日)・明日(日曜日)、新版では新しいコーナーを制作します。
 手始めに右枠内の「寸心紀行」の所をクリックして入室してみて下さい。新ブログ製作開始時点で、新年度(4月)前には完全移動を予定しています。ご了解の上、読者の皆さんもご準備をお願います。

2013/01/25

届き始めました!

 ~「源泉徴収票」の郵送~

 また、この時期がやってきました(?)。

 現職時代には事務長の指示通りに手元に届いた源泉徴収票を添付して事務室に届けるだけで用務を果たしていたと思い込んでいました。退職後の「独り」になると、そのツケに押し潰されそうだと痛感しつつ、もう8年が過ぎようとしています。

 確定申告書の提出日は逆算するほどまでも無く決まった日付ですから、そろそろ準備をしなくてはいけません(己に言い聞かせています)。小生は、退職後の時間は、その多くを講演稼業として各地を遠征しています。その要請関係者からの源泉徴収票が送り届けられます。ここ数日、郵便配達のバイクの音に乗って「事務書類」が届き始めています。

 昨年からパソコン処理で申請する手段にしました。

 作成するまでの資料の準備が苦労です。交通費や諸経費への出費状況は几帳面な記録とその領収証の保管が基本です。分かり切っている基本的な事務処理を怠っていると、どれだけの利器であるパソコン様でもお助けは無理です。そこで、時として自己嫌悪にも陥るのです。

 月末から2月初旬までは東京~愛知~広島の3都市を3往復する稼業が待っています。本務があると事務処理に専心できません。それを終えてから本格始動(=確定申告の事務処理)をしようと考えています。「年に1度」とは言え、苦手領域での孤軍奮闘は苦痛です。

 現役の後輩諸兄にもいつかはやって来ます。

原理を理解して事前準備に心がける事の重要性だけでもわかって頂きたく老婆心ながらの、我が恥を忍んで愚痴を認(したた)めております(笑)、

 我が家も流行に乗り遅れることなく母屋軍団はインフルエンザA型の洗礼を受けています。高齢者こそ要注意!!との訓告を受けながら、爺婆は看護に精を出しています。皆さんもくれぐれもお気をつけてお過ごしください。

2013/01/24

『世論』と教育課題

 ~「体罰」問題と回顧録~

 小生は教員時代の全ての学校で運動部の指導者であった。最近の世論が妙に重く迫ってくる。世論を騒がせている「部活動」は、その殆どが運動部に関わっているとなると、我がちっぽけな教員生活の史上にも思い当たることが多い。

 最後に指導した生徒とつい先日、会って話をした。

 新春教育講演会終了後の懇親会の席上である。彼は39歳である。25年前の部活動での思い出を語り始めた。参会者の数名が車座の形になってビールを注ぎながら話が進んだ。「角田先生はどんな先生だったか?」のお決まりの質問が飛んだ。「高齢者の小生」しか知らない参会者にとっては「現職時代の映像」を再現してもらうためには格好の相手である。

 彼が中学2年生までの指導者であり、3年生になった4月には人事異動で指導から離れてしまった。その事態での「指導への思い」を彼は多く語っていたようだ。教員は定期異動がある。どんな条件付きであろうが「異動」ではどうにもならない。その悲哀を彼が語っても、それは人情論しかならないが妙に納得顔で車座は盛り上がってしまった。

 教育の世界でも「指導者が交替する」ことは避けられない。それはお互いの試練でもある。意に添う指導者ばかりではない。意のままに動かせる生徒ばかりでもあるまい。エゴイスティックな思惑だけで自我を通すことは危険だからである。

 この部員が在籍した中学校に小生は11年間も勤務した。学校長に転勤の希望を差し止められた経緯もある。11年間も同一職場に居ると、良くも悪くも勝手気ままな言動が増える。自意識が無いところが怖い。そこには正当では無い筈の正当論が成立して、他者からの正当な意見が通じなくなってしまう。教育の中で最も戒められなければならない「利己的言動」が罷り通ってしまうようになる。人事異動はそこに風穴を開けて風通しを良くする行為なのである。そこを捻じ曲げるような学校運営体制にこそ「指導のメス」は必要だと回顧している。

 体罰も体罰にならない私見が通ってしまい、矯正能力を有しない教育者集団が育って外部からの視線までも塞いでしまうようになる。指導を受けている生徒や保護者が泣き寝入りの状態に追い込まれる。閉塞状態が「自ら命を絶つ」事態になるまで続いていたことは、関係者は真剣に考えねばなるまい。それが、世論への回答になると確信している。「教育界ばかりが風当たりが強い」と僻んでいるようでは足元の子ども達に対して正対すら出来なくなってしまう。

 卒業生とビールを酌み交わし懐古ばかりしているようでは卒業生の成長をも阻んでしまうかもしれない。体罰には時効はない。教育界しか知らない小生には、教育界への回顧も多い。

2013/01/23


130123受信

 ブログ愛読者の皆さんへ

 先日(1月19日・第11回新春教育講演会)会長としての基調講演の中で朗読した絵本こころのはなのさくところ」(のじまひさこ・作文屋・発行)について、ご案内いたします。
 当方から、発刊元の文屋(長野県小布施町)に我儘の提案をいたしました。それは「購読者特典」の適用についてです。代表の木下豊氏から以下の内容のメールで回答がありました。

         ★先生、ご提案を、ありがとうございます。

ぜひ、みなさまのご期待にお応えしたいと願います。ただ、書物は値引き販売をしないという原則があります。あくまで、歩禅記の読者様限定で、お申し込み期限も限定にて、ということでよろしいでしょうか?
  【特典】
  ・定価1,575円(税込) → 特別割引価格 1,400円(税込) 
 
  ・シンボルキャラクター「たくみん・ゆめみん」記念ポストカード
   通常1枚 → 2枚 を進呈します。
  【期限など】
  ・文屋への直接注文に限ります。
  ・お申し込みは、下記の文屋サイトページ、申し込みフォームからが便利です。
   http://www.e-denen.net/index.php/kokoro
 
「角田明先生のご紹介」の旨、申し込みフォーム下段の「その他」に
   ご記入ください。
  ・メールや郵送、電話、ファックスでも、下記のことをお伝えくだされば、承りま  す。
   お名前  住所(〒) 電話番号  書名と冊数 「角田明先生のご紹介」の旨
  ・期限 228()
   ★宛先   文屋 代表 木下 豊
     〒381-0204 長野県上高井郡小布施町飯田45 
     TEL: 026-242-6512 FAX: 026-242-6513 bunya@e-denen.net
     文屋サイト http://www.e-denen.net

★たいした特典ではなく、恐縮ですが、お許しください。 では角田先生、よろしくお願い申し上げます。心身をお大事に、おすごしください。感謝を込めて  木下 豊 拝
  絵本の内容に、英語が添えてあります。とても素敵な表現です。小学校英語の教材にもなり得ます。絵本の見本として『寸心紀行』(右の欄からどうぞ)に表紙の写真版をご紹介します。 

感涙の『写真・絵本』

 ~こんな絵本があるんだ!!~

 当ブログでは写真版での紹介が出来ませんので、毎度のことのように。右欄の『寸心紀行』をクリックして満喫してください。(登載に時差あり)

 昨日は定期診療のために東京・町田市にある鍼診療所まで行きました。片道約3時間の移動距離ですので前日から「天気予報」が気になります。今回もいつも同様に降雪の予報に足元を心配して出発しましたが大丈夫でした。

 東京・多摩地方に近づくと未だ残雪の風景が目につきました。診療所はかなりの坂を上った所にあります。体力勝負です。その分だけこちらの「体力チェック」にもなります。東京駅で予定していた中央特快が急遽の運転中止になっていました。10分間遅れましたので、「上り坂」の速度にも負担がかかります。息切れ状態に「古希一歩手前」の加齢を実感してしまいました(笑)。

 予定通りに帰宅しました。

 同居する長男が推薦した「写真絵本」がセット(4冊)で届いていました。お風呂上りに開いてみました。絵本??そうです、絵本装丁には間違いありませんが「絵」ではなく「写真」が現実を伝えている見開きのページに遺体に接する家族の『実態』が飛び込んで来ました。今年は両親の「七回忌」になります。あの瞬間が走馬灯に浮かんできました。1冊の絵本の主人公が小学5年生です。二人の孫たちと同年齢です。設定(遺体との接触)に年齢差はありますが、孫たちも読めそうです。

 老夫婦は時間を忘れて読みふけってしまいました。

 片道3時間の移動で鍼診療を受けるのが隔週の日課です。鍼診療は13年目になりました。診療を受けながら診療師との対話が老夫婦の元気の源になっていることは事実です。鍼診療の直後から翌日までは体調に微妙な変化が出ます。倦怠感などがそのものです。そんな状況を無視してしまうような『写真絵本』でした。

2013/01/22

「お礼状」の威力

 ~●●も煽てりゃ木に登る?~

 この稼業を続けていなくても同様な心情は、この●●には確立してはいるだろうが、お世辞であっても嬉しくなるのは性格なんだろうなぁ~!参会者からお礼の気持ちが電子メールに載せて立て続けに届く。読みながら照れている自分の姿が周囲には滑稽に見える事だろう。しかし、この心情が次へのステップを軽くしてくれているのは事実である。読者諸兄にも大なり小なり、この心情は経験済みである事は確認する必要もなかろう。

 学校教育現場でご活躍中の後輩教員からもお礼のメールは届いているが、今回は教委に出向している教員と、教科書を扱っている会社の営業マンからのお礼メールをご紹介して、「木に登ろうかなぁ」と思い始めている●●の現状をご報告しましょう。
 

 (1)いつも大変お世話になっております。先日の新春教育講演会では、素晴らしい御講演を聞かせていただき、ありがとうございました。
 
 松野先生の御提案から、学校教育において、プロ意識をもち、授業づくりを進めていくことの大切さを改めて認識いたしました。これは、さいたま市でも最重要視しているところでございます。子どもの可能性を広げるには、授業を充実させること。この日々の積み重ねが、子どもの未来を切り拓くということを、今後も伝えてまいりたいと思います。

 角田会長の御講演では、組織、そしてリーダーについて考えを深める機会をいただきました。自ら進んでできる教職員、言われてできる教職員、言われてもできない教職員がいる中、どのように同じ方向に進めていくかは、やはりリーダーの力によるものが大きいと考えます。角田先生のお姿から、組織のリーダーには、強い意志と信念、豊かな人間性を兼ね備え、さらに高い視点と広い視野が必要だということを感じました。本市の「教育経営研修」においても、このことを意識した研修を運営していく必要性を強く感じました。

 外部の者であるのもかかわらず、快く受け入れていただいた「響の会」の皆様にも、御礼を申し上げます。
 新年から、大変いい刺激を受けることができ、感謝しております。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。 

(2)過日は大変お世話になりました。また、早速素敵なお葉書を頂き、誠にありがとうございます。『響の会』でのご講演は、いつも私に元気を頂けるお話が多く、今回も“異業種との交流”や“個人の力を発揮させる組織論”などいろいろと参考になりました。特に上司が、“自分に何を期待しているのか”あるいは“後輩の能力や適性”をよく考えながら、業務に取り組んでいきたいと思います。

追伸:夜の浅草寺は素敵ですね。心がとても穏やかになりました。今年もよろしくお願いします。

2013/01/21

ついに我が家にも・・・

 ~40度の急な発熱~

 「病気知らず」の異名を自覚している次男坊が朝の検温で39度の高熱だという情報が「離れ」の爺婆まで届いた。「通院が趣味かい?」と言われるほど弱かった長男孫はユニフォーム姿でサッカーの試合に出掛けて行った。お祖母ちゃん(=老妻)は、もう一人の病弱児・三男坊への感染を心配しているようだったが、すぐ上のお兄ちゃんが休んでいるので外で隣家の同年代の男の子たちと元気に庭で走り回っていた。これも引っ越して2年間の内に見違えるほど元気になっている。

 家族全員がインフルエンザに罹った時も、この次男坊だけは健康で通したという武勇伝(?)があり、本人の意識の中にもインフルエンザには罹りたくないと願っているようだ。母親は長男孫のサッカー試合への送迎で出かけていたので、父親が病院に連れて行った。「判定は明日に」と再来を指示され、解熱剤だけを貰って帰宅した。

 長男夫婦は障碍者施設に勤務している。

 インフルエンザの流行期になると、マスク着用は義務のようである。ノロウィルスとの関わりにも異常な程に神経質になる。無理もない。障害のある方たちは流行性の病気に対しても弱者だと長男夫婦が説明してくれたことがある。我が家にも職場にもインフルエンザの羅漢者が目立ち始めたようである。

 千葉県に住む長女から他の用件で電話が入った。

 母屋の次男坊が40度の高熱だと老妻が喋っている。途端に大声で笑い出した。電話が終わったので「笑い」の原因を問い質して小生も思わず噴き出してしまった。長女が「お祖父ちゃんお祖母ちゃんも弱者です、と弟に言っておいた方が良いよ」との発言だったそうだ。そうか、高齢者は弱者の部位に属するんだ!!

 ともあれ、『手洗い・うがい』の励行だけは欠かせない。そんな意識を再確認し合った弱者夫妻の一日だった。今日の再診で真偽が判明する。親は心配で業務も大変だろうが、こんな日のために老両親に同居を要請したのだから、爺婆としては頑張って務めることにいたしましょう。

 読者の皆さんのご家族はいかがでしょうか?お互いにきをつけましょう!!

2013/01/19

今年の「仕事始め」

 ~一番の冷え込みの朝・東京へ~

 学校に勤務している人種だった時代には「御用始」なる儀式とは縁が遠かった。「学校教育の主人公は子ども達」とばかりに嘯くのは教師病ではあるが、その本質に気付くことも無く退職して「鬼ばかりの世間」に放り投げられる。世間の冷たさを感じるのも職業病の後遺症である。これは単なる自己評価である。

 しかし、僅か10年間ではあるが、茅ヶ崎市教委での仕事で「お役所生活」を経験させていただいた。全く別世界と感じるのは「子ども達」の声がしなかったからだろうか。いや、それだけではない。教員とは別の思考回路で業務を遂行する人種とのコミュニケーションに違和感を抱いたからである。業務用語自体が異文化でもあり身動きが取れなかった。40歳も過ぎてから初体験する人間には住み心地の悪さだけが圧し掛かって来たような錯覚が貴重な10年間として今朝、蘇ってくる。

 この経験は「我が人生の財産」となって70歳に近くなった高齢者の生き様を支えてくれている。1月4日から終日勤務することは一般社会で生きる人種には常識であるが教員には、1月8日の「始業式」が仕事始めに該当するので新年の当初の迎え方にも大きなズレが生じていたのである。

 元旦から18日が過ぎた、本日(1月19日)に「御用始」をする。「今日から仕事が始まる」と豪語するのは可笑しいだろうな。自由業の身には不似合いだろうが、仕事始めは確かに今日である。遠くは鳥取県・広島県・愛知県からも、わざわざ高額な旅費を使って東京の会場まで聴講に来られるらしい。事務局の校長先生から昨夜最終の連絡が届いている。

 こんな歳になっても「御用始」の興奮は新鮮である。

 今年も8月の学校単独の夏季研修会や秋の行政主催講座への出講要請やが届き始めている。当面は、今日の仕事始めを皮切りに月末から2月半ばまでは、ハードスケジュールの講演が続くことになってしまった。しかし、心身ともに充実感で受け入れられる。待っていてくれる同業者がいることへの謝恩の精神を忘れずに挑むことが出来る。至福である。健康管理に気を付けながら、今年も全国の後輩諸兄の下に、「元気を届ける」ために飛んで行こう。そんな意気込みで「この冬一番の冷え込み」も気にならない朝である。
 

 今日の講演内容の一部の紹介を『寸心紀行』(右の欄から入って覗いてください)に登載しています。講義で使う本の紹介です。ご覧ください。

2013/01/18

「偶然」という奇縁

 ~メールの中の活字に目がテン!?~

 「目が点になる」とは驚いた様子を表現することらしい。届いたメールの活字を追いながら「驚き」のために視点が止まる程の集中となってしまった。

送信された箇所(以下のアドレス)を送信者の指示通りにクリックした。

投稿された記事の内容を読み終えて仰天した理由は以下の通りである。

 記事の内容の主人公である人物が、昨夏の主宰セミナーに招請した若い研究者だったからである。ある親しい友人と呑みながら雑談している最中に、「みんな発達障害者だよ~」と小生が発したことが、その後の親近度を高くしたとお互いに感じるようになった。その友人のお子さんが知的障碍者として現在は作業所で働いていることを打ち明けてくれた時だったのである。小生は自らの暴言での対応は非礼になったのではないかと案じた言葉(表現)でもあった。

 南雲明彦氏(著書『IDは僕のID』 中央法規)から、自らの障害をカミングアウトするまでの苦悩と、その後の生き方への道づくりを模索する人生哲学を聴講した。教員人生を終えてしまっている小生には「現職時代に学ぶべき内容」として機会設定にだけの「満足した時間」であった。

 その当人の話題がこの紹介コーナーの欄に登場しているではないか!投稿者はこの中学校の保護者である。

 全国の読者諸兄でも、何人の人がこの方の氏名をご存知だろうか?自らの障害と向かい合い負けるどころか「障害と共に生きる」若い青年の生き様は殆ど知られていない。昨夏のセミナーも聴講者はさほど多くはなかった。多くの教員に聴いてもらいたい内容ではあったが、主宰者の願いは多くは挫折するモノである。昨夏の時間がそろそろ忘却の時期になりかけた折りに、愛知県のこの中学校のホームページの特設コーナー(PTA)に登載されていたのである。

 偶然とは奇縁である。

 そして、この中学校で「保護者を対象にした」講座に登壇することになる。この投稿者が聴講対象者になるのかどうかは不明ではあるが合縁奇縁を感じて妙である。久しぶりに「保護者を相手に授業が出来る」時間の特設をいただいた中学校の校長先生他関係者に感謝の気持ちで一杯である。

 同じ日に、素敵な絵本が長野県小布施町の出版社から届いた。オトナに読ませる絵本である。教員が読むべき絵本である。読み終えて涙が止まらない。

あ~、やっぱり、わしも歳をとったんだなぁ!涙もろくなっちまったよ!(笑)

 機会をみて(出版社と贈呈者と連絡を取り終えた後で)ご紹介します。ご期待願います。

2013/01/17

勝利者インタビュー

 ~「組織」による育成法の違い~

 小生が大相撲ファンであることは周知のとおり。

 贔屓の関取が活躍するとファンは興奮する。興奮するのがファン気質の証。連続のインタビュールームで対応する力士に「組織が育成する」現状を垣間見る。「親方に褒められるよう明日も頑張ります、ハイ!」と言い残して退室する。

 小生は大昔(笑)の高校球児。教員になって30年前に指導した部員からプロ野球の選手が誕生して現在も「現役最年長プロ野球選手」として活躍中である。「育成精神の無いところに繁栄は無い」と、「組織の在り方」について考えることが最近は多くなっている。 

 家族という「最小の組織」ですらも繁栄の継続は難しいらしい。小さな会社経営でも先祖代々の血縁だけでは繁栄の保証は無いそうだ。三代続く社主の存在は偉大だと言われる。松下電器(=パナソニック)の創始者の松下幸之助氏も、純血の後継者には危惧を感じられた行を読んだことがある。そこにも血縁が「育成する」難しさを氏が凡人に諭しておられたのだろう。

 野球と相撲。

 チームプレーと個人競技と分類できる。9対9で戦うスポーツと1対1で対決する協議とでは指導者の育成意識に大きな格差があって当然である。しかし、組織の中に宿すべき「育成する精神」は軽視できない。監督と親方。共にリーダーではあるがその資質によっても育成される後継者の成長も違うような気がしてならない。勝負の世界では「弱者」は驕る事は出来ない。しかし、強いだけでは観客は呼べない。ファン気質も国民性があるのだろうが、同一国で比較しても人気の秘密には「分かり切った謎」が判明する。

 組織の活性化を、所属構成員の言動や表情が証明しているという事である。

 小生は小さな世界(=学校)の監督・親方しか務めていないので、小生には大口を敲くほどの実績も無い。しかし、学校と言う組織だけに焦点化して述べても、以下の4拍子が揃っていたことがわかっている。

①「勢いのある教員集団」②「活き活きとした生徒集団」③「感謝の気持ちで学校を支える保護者軍団」④「笑顔の絶えない協力体制で接する地域」そこには「育成精神」を明確に打ち出している校長の存在が確認できる。

 大相撲界ではインタビュールームに登場する力士はあるが、親方は無い。プロ野球界ではインタビューを受ける選手の次は勝利監督である。対照的である。どちらが良いという観点で言及しているのではない。組織の「育成」手法が異なるのは業界の違いであることだけは事実である。チームの監督にもファンが付く。しかし相撲部屋の親方の氏名は殆ど知られていない。これも対照的である。

 日本のプロ野球選手がアメリカの大リーグに流出する。外国人が日本大相撲協会の新弟子検査に押し掛ける。時代がこんなに変遷している。時代は変わっても組織の育成精神は大きくは変わるまい。

 しかし、外国人力士の日本語の上手さには舌を巻いてしまう。育成の土壌には「愛のある言葉」があるような気がしてならない。暴言を吐いて殴っているだけの指導者には育成者の資格は無いのかも知れない(=自己反省)。

2013/01/16

「ヒト」は成長する動物である

 ~「5歳の抵抗」に感謝!~

 土浦市の朝は朝陽に反射して眩しい。

銀世界は凍結のままで朝が明けたようだ。前日に小学校から連絡網が回って来ていた。老妻の携帯電話が鳴っていたが、その内容だった。共働きの家庭では留守番役の祖父母にも一報が入る。1分もかからずに全校児童の家庭に「学校からの通報」が届く。現職時代には考えられなかった手段である。利器を上手に使いこなすことには大賛成である。

 2時間遅れの登校となった小学生のお兄ちゃんたち。ミニサッカー場である庭は雪が積もったままのアイスバーン状態になっている。登校時間にゆとりが生じた小学生がブーツのままで滑りながら雪投げ合戦を始めた。1軒隣の今春小学校に入学するらしい男児も加わって楽しそうだった。

 我が家の5歳児も我慢できずに仲間に加わって朝から元気な子どもの声が轟いた。絵になる光景に、爺はデジカメを向けた。いつもと違い、お兄ちゃんたちより早い時間の出立となってしまった5歳児(保育園児)に異変が起きた(笑)。登園拒否である。母親とお祖母ちゃんが説得(?)しているようだが、「我儘の通る」育ちには「梃子の応用」も効かない。喧嘩別れの体で母親は祖父母に我が子を委ねて出勤して行った。

 取り残されてもマイペースで雪遊びを続ける5歳児に「反抗期」を診た。

 幼児に捨て台詞を吐いて出勤した母親が凍結道路で事故にでも遭っては、と案じた。目の前の5歳児は明らかに成長を著わす反抗期の言動である。お祖父ちゃんにはほのぼのとした光景に映った。昼寝もいつものように素直にお祖母ちゃんの言う事を聴いていない。そのまま室内で遊び通していたようだ。「TVとゲーム機だけは使用させないで」、との母親の伝言を「育ての親(笑)」は忠実に守ることによって5歳児に抵抗できるのが楽しい。終日、全く日常生活の遊具(=「DVD+ゲーム機」)に触れることなく「反抗」してくれた。ついに母親が帰宅する寸前に眠ってしまった。寝顔を見ながら祖父母は目で語り合った。

 5歳児の「反抗期的行動」にヒトとしての成長を感じたからである。

こんな光景は、「親業」時代には決してほのぼのとした心情として映っていなかったことを思い出したからでもある。次世代ではなく次々世代への思いには、隔世感情があって冷静になれる。祖父母力がこんな所で発揮できる!!。そんな機会を産み出してくれた「5歳児の反抗期的行動」に感謝しながら、今朝の行動を見守ることにしようか!! (05:00書き込み)

2013/01/15

『国技』館に想う

 ~大相撲の推移に一喜一憂~
 
   自称「大相撲ファン」である。
 子ども時代に九州場所を終えて巡業に来る「お相撲さん」を応援見学に行った。学校行事として企画されていたような記憶が残る。「若秩父」という19歳の役力士を目の前で見た。大き過ぎて表現に困った少年は「僕の画板には描けない大きさでした」と翌日の作文に書いた。先生の批評が面白かった。「先生も同じです」だった。何故か鮮明に記憶しているから少年にとっても先生の感想が面白かったのだろう。
 神技と表現されるほどの「国民意識」文化の強いスポーツである。柔道や剣道等も我が国独特のスポーツではあるが、少々ニュアンスが異なるように感じる。両国に「国技館」が完成した時、偶然ではあるが九州から両親が上京していた。案内した。義父の感動と感激が伝わってきたことを覚えている。
 あれから幾星霜。東西の両横綱が日本人力士ではない。心技体の充実度が求められる「国技」を立派に務める横綱の努力には頭が下がる。歴史の推移の中で、ご多分に漏れず不祥事が多かった。その都度、「外国人力士」の存在感が話題になる。本末転倒ではないか!「国技」館内に掲げられる優勝力士・額にも、「国技」を負う国民の顔はない。国技と並び称される柔道も、世界スポーツの仲間入りして以来衰退の一途を辿る。世界大会でのルール改正に伴う闘いぶりに「国技」の本質を感じ取れなくなっている。スポーツに対する国民意識の相違であることは十分理解できる。外国の精神文化で育った力士たちが、立派な日本語で「相撲道に精進します」と発するところが相撲界と柔道界の違いなのか。
 高校スポーツ指導者の問題点が吐露されて哀しい。「泣き寝入り」文化に馴らされている日本文化の中では「外国で誕生した」種目でも同様なのか。とすれば、横綱・白鵬という力士の「日本人化」には誰もがクレームは付けられまい。
 「国技」に称号に拘らず、「人間を磨く」ことへの意識を鼓舞することで相撲道とという日本文化が世界に羽ばたくことを期待したい。体格的にみても日本人力士の劣勢は否めない。「小よく大を制す」だけの勝算を期待される日本人力士集団にとっては厳しすぎる。重荷過ぎて角界入門者も激減するのかも知れない。
 そんな折り、1枚のチラシが目に留まった。
 文面に見るキャッチコピーが何とも言えない。「両国に熱い雪がふる」とは、今日の銀世界の東京(両国国技館・現場)を言い当てて妙である。相撲道に精進する力士集団の頑張りを期待したくなる、一人の大相撲ファンの「熱い思い」である。

 今日のこの本文をアップした時点では写真添付するのに失敗しましたが、数回のチャレンジで見事に(笑)アップできました。 『寸心紀行(=すんしんきこう)』で検索ができます。この右の欄枠内にある案内版から入ることも出来ますので覗いてください。(14:30完了) 

2013/01/14

『成人式』に思う

 ~2回目・3回目の「心の成人式」~

 こんな風にして40歳、60歳の節目を考えて生きてきました。

 二人の娘たちは共に2回目の成人式が過ぎました。末の子ども(長男)が来年2回目の成人式を迎えます。我々夫婦はとっくに3回目の成人式を終えました。老夫は来年に古希を迎える年齢になっています。列記とした高齢者になっています。

 ある時代から「荒れる成人式」というキャッチフレーズが先行しました。「成人式を担当する」行政の部署では心を痛めたモノです。その行政部署から「腹立たしさ・苛立ち」の心情で見詰めた哀しかった日々を思い出しています。

 このブログを書きながら「外は雨」を確認しています。

 当時の部署・責任者が、「良かった!雨で。」と呟かれた苦痛の表情も、まだ鮮明に浮かんできます。雨天だと「荒れ方が緩い」との常識的判断からだったようでう。氏は既に物故者です。「何のための成人式なのか!!」との苦悩は当事者たちに通じなかったことを心痛し、今でも悩みます。

 その頃の成人者たちの多くが「家庭を営んでいる」世代です。

その家庭で育まれた子供たちが「学校」に入学して来ます。親世代が「荒れる成人式」の乾燥した空気を吸って成長してくれました。「感謝する」気持ちは、親を含めた『大先輩の成人者』が教えなければ後輩の成人者は成長しません。

 成人式の価値を、成人式で確認しても後の祭りです。

 事に触れ、事に及んで「小さな教え」を積み重ねて成人式を迎えさせるのが親の任務です。文科省でも「親教育」という言葉が飛び交う時代になっているようです。「親」になってからの教育は後手過ぎます。

 「三つ子の魂100まで」の先人の立派な教えに準じるならば、晴れ着姿の成人者を観ながら(テレビ画面でも構わない)、幼児に語りかけることが重要なのです。「きれいだねぇ~!」「おめでとう!」「立派なおとなになってくださいねぇ~!」等々の言葉を当事者に向かって、我が子の手を握り締めて言葉を発することです。

 お祝い馴れに浸けられた現代っ子はバースデーケーキに感謝することも教えられていません。お年玉もいつしか「いくら貰えるか」で大人の値踏みをすることに飼い馴らされて育っています。そんな子ども達が「あっという間に」成人式を迎えるのです。恐ろしい時代が到来する土壌を、現代の大人社会が作っているのですから自業自得なのでしょうかね(苦笑)。

 「2回目の成人式」に相応する我が子たちの子ども達(孫)も、こんな親心を理解させながら子育てをしてくれているのか、ちょっと心配の「成人式(=国民の祝日)」の朝です。

2013/01/13

我が『快老録』

 ~曽野綾子氏の著書を読んで~
 

  人は氏を「みぎ」思想家と言うそうですが、当方には「右」も「左」も関係ありません。ちゃらんぽらんの人生を歩んできた人間にとっては、時として氏の言葉にカチンと衝撃を感じることがないとは断言できません。著者を好んで本を選ぶことも多いのですが、気が付けば氏の著書は書棚に多くあります。
 加齢を痛烈に感じ始めた頃、氏の著書を頓に多読する傾向があると自覚しています。『自分の始末』という本があります。その中(第8章)に、「自分の時間」を管理する知恵 がありました。その中に「一日に一つだけ積極的に物事を片づける」というコーナーが特に心の中に飛びこんで来ました。
 川北義則著「引き際の美学」を並行して読んでいた時でしたので、曽野氏の「一日に一つだけ積極的に・・・」歩んで来た道に放置しているモノ・コトへの非礼さと無責任さを痛感してしまったのです。校長の現職時代に起ち上げた研究会も紆余曲折はありながらも17年間続いています。協力してくれた当時の同僚や仲間も、「退職期」を迎え始めています。書店の棚に「引き際の美学」を発見して、電車の中で読み切ってしまった程に衝撃を受けました。
 新年元旦より、新ブログ(別のサイト)を創設したのも、「引き際」と「積極的な片付け」を盛り込みたい一心です。新ブログについては既に右欄にそのアドレスをご紹介していますので覗いていただいているようですが、曽野氏の言葉をお借りすれば「快老録」として活用することになります。
 そこで手始めに、過去に多くの出版社から依頼を請けて執筆した「駄文集」を紐解きました。加除修正をして再掲しようと考えました。まさに駄文ですが、未熟だった(今でも)着想に加筆をして後輩諸兄の参考資料になれば、と思い立ったのです。感謝の気持ちをそっくり「恩送り」出来ることを願っています。
 寸心とは、哲学者・西田幾多郎氏の発言で「小さな志」だそうです。偉人諸先輩の「言葉」をお借りしながら、自分の始末を「快老録」として新ブログ(『寸心紀行 http://sunshinki@exblog.jp/』) に月曜日から金曜日までの5日間を基本として復元いたします。
 感想やご意見を戴くよりも、現役の「いま」、活用できることが見つかってくれることを切望するところです。新年が明けたと思っている内に、もう10日間も過ぎてしまっています。週末から当方にも「仕事始め」が待っています。また、全国のどこかで再会することでしょう。楽しみにして出かけます。待っていてください。

2013/01/12

『歩禅』の記(9)

 ~「弛み」は必要・善?~

 転居してこの4月で丸2年になる。

 同居を希望した長男夫婦は、4年生になる長男(孫)が学童保育(=放課後の時間を帰宅せずに面倒を看てもらえる場所)の支援を得ることがきない、という理由だった。つまり、下校しても自宅が留守状態になることへの不安からであった。十分承知をして転居の準備(=増築・「離れ」の完成)を経て、転居の予定時期に3・11東日本大震災に見舞われてしまった。約ひと月遅れの4月15日に転居した。終日何回となく襲う余震にも「孫の下校・帰宅」を待っている祖父ちゃん祖母ちゃんにとっては「へっちゃらに思う」ほどの任務への意識が強かった。無事な帰宅に安堵して過ごす毎日にはピンと張りつめた緊張感もあり充足感に満ちた日々だった。

 火曜日と金曜日は、学校から直接・塾に移動して、母親が勤務帰りにお迎えに行って一緒に帰って来る日程である。我々(爺婆)にとっては「休養日」である。隔週の火曜日は東京都町田市(公共交通機関:片道2時間半)まで『鍼診療日』として設定している。一方、金曜日は特別な日程は組んでいない。全くの自由日である。

 老夫婦は前日から「明日は筑波山神社に初詣に行く」と意気込んでいた。歩禅のコースを筑波山にセットしていた。いつも通り4時には起床してそれぞれの雑用を熟して5時半には朝食も済ませた。小学生2人の登校を見送って、下の孫が母親の出勤車で保育園に出掛ける姿を見送れば「朝のボランティア」(笑)は完了する。

 初詣の準備をするはずの老妻の様子が変である。

 体温計を取り出して検温している光景に違和感を持ちながら直訴を待つ。8度2分あると訴える。直ぐに横にならせて取り敢えず今日の予定を中止する結論を伝える。老妻も楽しみにしていたことは事実である。正月明けの学校開業から元気に登校する孫たち。おやつ作りも軌道に乗って帰宅を待つ。順風満帆の1週間だった。

 暮れに風邪をこじらせて数日間、欠席した孫が新学期を快調にスタートしたことでホッとしたのだろうか。老妻が「気が弛んでしまって・・・」と恐縮した弁を述べる。急きょ変更して「独り歩禅」にして、正午過ぎに家を出て歩いた。

 頑張るのも良いが、たまには「緩み・弛み」も必要だ。これは老妻への苦言である。老夫には、全くその心配は無用である!手抜きの天才であるからだ(笑)。しかし、そんな思いは自らにも言い聞かせてのことでもある。

来週の今日(19日)から、自らも新年最初の業務が始まる。そして、月末からはとんでもないスケジュールが待ち受けている。体調管理が必要な高齢者だ!!(笑)

 自意識を高め、自らを戒めるためにスケジュールを反芻しながら独り歩禅を満喫した。北関東の「冷たい風」にも老体も馴れて来たようで嬉しい。引き締めたり緩めたりしながら、長男夫婦の期待に応えるべく健康管理に配意をしよう。   【50分6500歩】

2013/01/11

『歩禅』の記(8)

 ~誤配された年賀状~

 9時に開業する駅前郵便局まで、先ず「歩く」ことから行為が始まる。駅前郵便局までは歩いても10分は要しない。高齢者には適度な運動量(笑)。転居したばかりの頃、「お祖父ちゃんは郵便局までお散歩」と孫たちは言っていたそうだ。郵政民営化で、最も生活に密着しているような山あいの小さな郵便局が廃業になったとの情報を得て愕然としたものだった。我々夫婦も郵便局業務には「負んぶに抱っこ」の現状である事実を考えると胸が痛む。

 老妻を『歩禅』に駆り出すには条件が必要だ。冷たい風が吹かない頃合いを見計らうことである。早めの昼食を済ませて12時半ごろ陽射しと弱風を推して誘導に成功した(笑)。

 歩き始めて5分過ぎた頃、前方から2台の自転車がこちらに向かって来た。孫のお友達のお祖父ちゃん・お祖母ちゃんの二人サイクリングのようだった。年頭の挨拶を交わしながらすれ違い、広大な田圃が広がる場所に出た。

 住宅地とは違い、ここは全くの無風と言う訳にはいかない。しかし、微風である。しかし、冷たいのも確かだ!襟首のマフラーを締め直す老妻を横目にしながらも「30分の早歩き」の効能をTV画面で一緒に見ている老妻は、意識的に歩調を上げているようで心地よい。

 我々は二人とも九州の田舎出身者である。

 この田園地帯の「空気」には、幼い日々の思い出を彷彿とさせるモノがある。心が和む魅力がある。そして対話も弾む。全く知らない人からの葉書の話題になった。送信者は熊本市に住所がある方であった。老妻の従妹に出した年賀状が届いていない。送信者はこの従妹と苗字が同じで、名前も一文字違い。住所が「熊本市西区一丁目」まで同じである。郵便番号まで同一なので「誤配」されたと判断できた。

 届いた葉書は「寒中見舞い」であったのが注目の的になった。朝一番に老妻が電話を入れる。従妹が「年賀状は届いていない」と明言した。しかし、こちらから送った年賀状への「お礼の言葉」を添えて喪中であったとの詫び状として寒中見舞いの葉書を投函された先方の信条が解せない。見ず知らずの人から年賀状が届いたら返事を書く前に誤配の手配をしないのだろうか?

 他愛のない話題ではあるが、やっぱり奇妙な心情になる。対話で歩禅を済ませ帰宅してから葉書を書いた。誤配なので郵便局に戻していただく要請をした。届いた寒中見舞いの葉書の処理もご要望を確認させていただく文面にして投函した。完全な個人情報があるので先方への配慮も考えた。 

 30分間の早歩き。すっきり感で帰宅できた歩禅、大成功!!

2013/01/10

『歩禅』の記(7)

 ~やっぱり「歩く」のがサイコー~

 独り歩禅のために午後2時半の出発だった。

 老妻にも歩く意志はあるのだが、北関東の「風の冷たさ」に躊躇があるようだ。正月のご馳走腹の解消法を今年もTVやラジオで特報する時期になった。目と耳でその対処法を学びながら反省もする(毎年)。振り返ってみる程のことでもないが、飽食の時代に生きていると実感する。

 理屈はともあれ、「歩こう」と意を決した。陽射しが北風に勝ちそうな時間は午後である。2時頃なら大丈夫だと決め込んで玄関を飛び出した。田園地帯に差し掛かると遮るモノが無いので北風の直撃になった。しかし、一人だったり、ペアだったりグループだったりとそれぞれに午後の陽射しの中を「歩く」人の群れが多いのに驚いたが、励みにもなった。

 田圃道に入って歩く。

舗装道路でないこの畦道(耕運機も可動な道幅)がお気に入りのコースである。歩き始めた瞬間に携帯電話のベルが鳴った。送信先の電話番号から広島市とわかった。一昨年退職された校長先生からの電話だった。型通りの年頭のあいさつを交わして本題に入った。

 8月に予定しているという「現職研修会」への出講依頼であった。退職されて私学でご勤務の様だ。お元気そうな声に安堵した。なぜならば、この校長先生は退職と同時に私学への異動を計画されている所に社会人である娘さんがくも膜下出血で緊急入院となってしまったのである。その後の容体を電話で確認すると無事に現職復帰をされたとの由。ご自身の私学への復職も叶ったとの事だった。

 耳に携帯電話を当てて歩くことは好まない。従って通話中は風が吹き抜ける田圃道に立ち尽くしてしまった。下半身が固まったようだった。それでも心がほっこりする気分になり、田圃を吹き抜ける風に向かったり押されたりしながら帰宅した。  【実動:45分 6000歩】

2013/01/09

定期・鍼診療の再開

 ~健康管理の1つの手法~

 2000年9月2日(土)が、この鍼療法の始まりです。

 小児麻痺の後遺症で動かなかった腕が鍼治療で治った現実を障碍者施設で働いていた長男が見届けていました。驚きと感動を得て有能な治療師だと確信を持ったようです。

父親は勤務先で受診した人間ドックで「測定不能」という超・高血圧症と診断されたばかりでした。隣町に開業した医者である教え子に診療を受け始めたのですが、降圧剤が通院ごとに変わり、降圧は出来るモノのまた薬が変わり悩んでいた時期でした。

 長男が仕事場に定期的に診療に来られる治療師に父親の現状を相談したら「通って来られるならどうぞ」との答をもらって自宅に帰って来ました。結婚式を迎える予定の長男が、渋っている父親に言いました。「元気でいてくれよ。孫を抱きたくないのか」と詰め寄られた父親は、まだ見ぬ(妊娠もしていない)初孫と元気で遊ぶ自身を想像すると答えは単純でした。「わかった。受診する」との答から数日後には予約をとってくれました。

 数種類の薬を束にして捨てました。

 後日談ですが、その踏ん切りには鍼診療師も仰天されたようです。血圧測定器が測定できなかったほどの患者が投薬を廃棄して飛び込んだことは無謀だったそうです(笑)。鍼診療は科学療法とは異なり、「目に見えて治って行く」様子も無いので長期(辛抱と忍耐)を要します。半年後に妻も診療を受けることになったのが、この長期間の継続療法を支えることになりました。

 あれから12年半(妻は12年)ばかり。

 昨日は、今年最初の診療日でした。妻の身体に明らかな変化の兆候が現れてきたことを診療師から聴かされました。言われて初めて老夫婦は納得できるのです。ロングランを走り続けている夫婦にとっては励みになります。

 夫婦共々、国民健康保険証は歯科医受診時に使用しただけの12年間です。小生は半年に1回の「歯の掃除」、妻は治療等で活用しています。

 鍼診療を通して「健康であること」への診療師からのアドバイスは人生哲学にまで影響を受けています。肉体の神秘(=自然治癒)への指導も「医者要らず」に役立っています。12年以上も前の長男の捨て台詞を思い出します。同居する孫たちとの格闘(笑)にも負けずに頑張っている老夫婦は「健康な幸せ者」だと痛感しているお正月九日目の朝です。 

2013/01/08

年賀状に混じった「1枚の葉書」

 ~「そんなつもりではありません」と・・・~

 ついに、購入した年賀状が不足の事態(?)となりました。200枚で十分だろうと昨年より50枚減らして年賀状を購入しました。途中で「買い過ぎた??」と、小さな愚痴が飛び出しました。年金生活者と言う経済観念ではありません。読みが浅かったという自己反省です。

 孫が「お祖父ちゃんには、まだ年賀状が届いているよ」と10枚ばかりの葉書を持って来てくれました。「そうだね、今日もこんなに?」と、受け取った姿勢で立ったままに一枚ずつ目を通しました。

 この時期の官製はがきは目立ちます。1枚の官製はがきの送信者の名前を見てハッとしました。先日の「野球部のOB会」を休んでしまった小生に対しての「お詫び」を記した内容でした。幹事としての落ち度を詫びた文面でした。

 この歳(葉書の差出人は47歳)になってまでも、「中学時代の先生」に対しての気遣いが残存しているのでしょうか?「そんなつもりではないぞ」と葉書に向かって言葉を発しました。

 教員稼業とは恐ろしいモノです。この位のことで「立派なオトナ」に言い訳をさせてしまったことに心底より恥ずかしくもなりました。共に盃を交わしながら、「今だから言える」とばかりに中学時代の秘話を聴けるのが同窓会やOB・OG会なのです。そこに出席を促す「案内状」が届くと、参加する前から「教師冥利」を貪ってしまうのです。そんな動きに馴らされている教員出身者は、知らず知らずの内に卒業生たちからの誘いを当然至極の如く振る舞っているんでしょうね。

 このブログの愛読者には多くの「せんせい」達がいます。小生のこんなくだらないドジを笑い飛ばさずに真意を汲み取ってくださいな。

 昨年のこの野球部OB会には妻も孫も連れて茅ヶ崎(会場)に、当地・茨城県土浦市より馳せました。そして、直帰の時間設定では無理だと学んで帰って来ました。そんな経緯もありながら、招待状が来ないだけの理由で欠席してしまった形になりました。幹事さんにこんな気遣いをさせたことを反省しています。

 次回は、案内が無ければ催促しましょう。いつまでも「先生然として」生きているようでは卒業生たちに見捨てられますよね!!この画面を借りて、関係者にお詫びをさせてもらいます。次回は、また、この爺先生が茅ヶ崎に乗り込むぞ!!

2013/01/07

新年の初失態!

 ~従姉の電話に気付かされる~

 千葉の長女宅に行くのに(いつものように)妻は不携帯のままに放置していた携帯電話。帰宅すると定位置で点滅して待っていた。苦笑しながら妻が取り上げると神奈川県綾瀬市に住む妻の従姉からだとわかったようだ。姉と慕う従姉は「御年始のご挨拶だった」とのことだった。

 何気なく、聞くとは無しに耳についた話題。

 内緒話ではないので聞こえてくる。従姉のご主人が、ご自分の叔母の喪中だったにも関わらず「年賀状を投函しちゃって・・」と苦笑交じりの内容が聞き取れた。全くの他人ごとにして聞き流した。「確認しなかったのかな?」「喪中の葉書が届いていただろうに」と、まるで他人の失態を蔑視するかのような横着な態度の小生だった。

 一頻り女性同士の「長いお話」が終わった。

 説明の必要性はないのに妻が従姉夫婦の失態を感情移入をして話し出した。妙に避けたい話題になって、意図的に遮った。留守中に配達された年賀状の確認をしながら未投函の年賀状返信に取り組んでいた。200枚購入した年賀状が、実に見事に全てを使い切った瞬間だった。

 無駄の無い使い方をして安堵しながら「余計な年賀状を投函していないだろうな」と脳裏を過らせながら、ふと妻の友人の顔が(何故か??)浮かんだ。理由は不明であるが浮かんだのが不思議であった。暮れにその友人から九州のミカンと野菜が沢山送られてきた。訪問した長女宅の食卓に、その友人の送ってくれた手作りの「漬物」があったのを思い出したことが引導であった。

 「おい、●●さんの義母が他界されたのはいつだったっけ?」と尋ねた瞬間、妻の表情が一変した。「去年のお正月直後だった??」と自問した。自答が速かった。「年賀状を出してしまっているよ!」と老夫婦は凍りついた。

 改めて寒中見舞いを出して謝罪することにしよう。

 妻の従姉夫婦が自らの失態として明るく語ってくれたことを詰るような思いで聞き流していた自らを恥じ入ってしまった。新年早々に「失態第1号」を早くも仕出かしてしまった。「やっちまったぁ~!!」と叫んでいる能天気ぶりは新年も健在であるようだ(苦笑)

2013/01/06

利根川の風は冷たかった!

 ~片道90分間のドライバーも疲れます~

 千葉に住む長女の家まで行くことになりまして、昨日のこのブログを登載し終えて準備を済ませて老妻と一緒に家を出ました。ここ数日の冷え込みで早朝の出立には流石に老体を身に染みて感じました(笑)。

 お正月の里帰りで会ったばかりの孫たちと「お祖母ちゃん」との約束を果たすための訪問です。7日から学校が始業するそうです。冬休みの宿題はご多分に漏れず「書初め」があるようです。小学生二人の孫たちが老妻の支援を依頼して帰って行ったとのことで出かけることになりました。

 書道教室を20年間も開いていた老妻にとっては「昔取った杵柄」の再現です。去年までは小学生1人だったのが、今年は1名増加しました。1年生の孫にも書初めの宿題があるとのことで母親が支援を切望したのでしょう。

 「お正月」という文字をフェルトペンで3枚書いて行かなければならない1年生は(隔世遺伝で)レフティなのです。縦文字を左手で書くのは大変厳しいモノがあります。左利きは、今でも小集団です。マイナー軍団への指導は行き届きません。多くは放置されます。そんな苦労は小生が良くわかっているので理解しています。お祖母ちゃん先生の指導で何とか目鼻がついたようでした。

 「明けの空」は5年生の課題だそうです。きょうだいですが、こちらは左利きではありません。さらに「お習字は大好き」な女の子です。しかし、それはそれなりに指導者の要求も高いようでなかなかお稽古は終了せず、泊まり込みで今日の午前中まで特訓に堪えて5年生の孫は頑張ったようです。

 昼食は途中で食べることにして早めの帰路に着きました。正月休みの帰省混雑を想定しての出発でしたが、殆ど混雑の影響もなく帰宅できました。途中で休憩した利根川沿いのコンビニ駐車場は混んでいました。車のナンバーも珍しいモノがありました。利根川を渡る風の冷たさに身震いをしました。

 孫の支援を終えた老妻は助手席で疲れ切った表情でしたが、満足した様子にも見えました。そんな二日間から解放されて冬休みの終わりを実感しています。

2013/01/05

恒例の年中行事

 ~卒業生・OB会を欠席して~

 「どうしたんだろう?」「今年は中止にしたのかな?」との自問を繰り返しながら前夜まで動きを待つ身は複雑な心境になっていた。『正月の4日』は、恒例の私的・年中行事である。その主人公たちは30年以上も前に中学校を卒業した野球部員OB達である。偶然ではあるが、卒業生の一人が焼き肉店を開業したことからそこが会場となって開催して、もう何年になるのだろうか。旧宅からは歩いても10分は掛からない場所でもあったので、電話一本で駆けつけたこともある。

 電話一本が掛かってもここから駆け付けたのでは終宴時刻になる。

 ここ数年は、葉書での案内かメールでの丁寧な案内が届いていたので「心待ち」していたのであるが、今回は未着であった。「確認の電話でもすれば?」、と老妻は小生の気持ちを案じて提案したが、「OB会を開け」とばかりの催促するのは気性に合わない。連絡が来ないのは何らかの理由が生じているのだろう。これを結論として打診は断念した。

 1本のメールが着信した。「4日の再会を楽しみにしています」との内容である。しかし、もう5日の家族での予定を許諾したので今更、変更が出来ない。仕方なく、メール送信者のOBに「欠席の連絡を依頼する」しかなかった。申し訳ないと言う心情が募って心苦しかった。

 成立するための地理的条件。

 しみじみと「遠距離」への転居を実感した。成長し続ける卒業生たちとの再会は教員経験者にとっては筆舌し難い冥利である。楽しいお酒を酌み交わし、近況を聞きながら過ごす数時間は、聴いているサイドにも貴重な栄養素にもなる。

 寒波の襲来が報道されている。そんな日に片道3時間弱の遠距離を往復するのは古希に近い老体には少々厳しい。卒業生の成長とは反比例している小生の老化対策は自らの維持管理に委ねるしかない。自らに言い聞かせている朝である。

次回の再会を期して今年も頑張る!!心に誓って今日の予定行動に移ることにしよう。

2013/01/04

思いがけない「年賀状」

 ~ひとりの「歴史」を紐解く~

 たった1枚の葉書の筈が、内面まで波紋が及ぶのが年賀状である。小さな「自分史」を紐解く思いになるのも年賀状である。高齢者になると届いた年賀状には歴史が詰まっているようなモノも少なくない。

 一言コメントを読みながら年賀状の発信人を回想する。小生には36年間の教員生活がある。そこで接した大勢の卒業生からの年賀状は怖い程哀しくて楽しい光景を蘇らせてくれる。卒業生の筆頭は還暦を迎えた年齢である。間もなく40歳になる卒業生がシンガリ。情報満載の年賀状に時間の経つのを忘れる時間となるのはいつしか「恒例」となっている。

 結婚を機に苗字が変わった卒業生(=殆どが女子)を、「名前」だけで判断できることが結構多い。つまり、呼び名や愛称に繋がるので記憶に残っているのかも知れない。また、写真入りで届く年賀状でも、30年も経ていると全く初対面の人物に映るのは性差が無い(笑)。

 しかし、コメントが決め手になることが多い。

 今回の1枚はどうしても「決め手」に事欠いていた。「どこの(学校の)卒業生だろうか?」と勤務校を振り返り見当はついた。しかし、「お祖母ちゃんになった」のコメントを辿りながらも人物の特定まで到達できなかった。礼儀上の返信用年賀状を作成し終えても決着がつかない。タイミングよく電話のベルが鳴った。妻が出たが、受話器は即、小生に回された。電話の向こうでは赤ん坊の泣き声が聞こえる。「もしもし、○○です。」と当時の愛称が飛び出した。「○○ちゃん?あの○○ちゃんなのかい?」と意味不明な対話で静かに進んでいた。確証を得る「思い出事件」が言葉となって飛び出した。歴史の1ページが実に鮮明に開いた。

 もう、お祖母ちゃんになる年齢になっているのか!卒業して42年も経っている。新進気鋭(?)の担任教師だった小生には、この事件は忘れたくても忘れられない。その事件以来、一人の教師と一人の生徒とは人間関係に亀裂を生じ、断絶状態のままで数回の同窓会でも再会することはなかった。

 何かあったのか?住所変更の知らせも出していない転居先に年賀状が届いた。

 電話の向こうには成長した大人の言葉が弾けた。目頭が熱くなった。言葉が途切れがちになりながらも「思い出事件」に触れた。青年教師と高校2年生の女生徒の間には思い込みと言う誤解が大きなバリアになっていたようだった。孫の鳴き声を愛子ながら淡々と思い出を語る声に、「時が人を育てる」と実感した。

 届いた年賀状の中に、当時の○○ちゃんの仲良し友達(二人)からも年賀状が届いていることに気が付いた。電話の声で、中学2年生のままに止まっていた蟠りをきれいに溶かしてくれていた。偉大なるものは「時」なり!!

2013/01/03

お正月の風物詩

 ~初詣・里帰りと「お年玉」~

 東京・明治神宮と浅草寺の初詣風景をTV画面で見るとお正月を感じる。

 転居前の初詣は決まっていた。相模国一宮・寒川神社には半世紀にわたって参拝した。我が子のお宮参りから七五三のお祝いまでの全てに詣でた社(やしろ)であった。当地からは一足飛びで参拝に出向くことは出来ない。しかし、機会があったら詣でてみたいと老妻とも話している。

 神仏混交の文化で生きて来た老輩には、お正月の風物詩の1つはやっぱり神社への参拝であった。大晦日のTV番組に「ゆく年 くる年」(定かではない)があるが、何とも言えない響きを伝える福井県・永平寺の鐘の音は大好きである。「ゆく年」への謝意を伝える音色に聞こえるからである。そして0時を時計の針が回ると何万人もの参拝者で賑わう神社への初詣風景が映し出される。メディアの恩恵を受けて眺め続けてこの歳まで生きて来た。「行く年が仏閣で、来る年が神社で」とのキャッチコピーは当方のオリジナルであって文化論的な根拠などは無い。

 神様と仏様という「信仰の祖」の違いはわかりながらも混交して生きて来てしまった(笑)。親しい外国人には解せないらしいが、小生には「日本人文化」として十分に根付いてしまっている。是非論を戦わす気は無い。19日に東京で初仕事があるので、浅草寺にて初詣をしようかとも考えている。

 正月2日は、嫁いでいる二人の娘たちの「里帰り」がいつの間にか定着しているのが我が家である。茅ヶ崎市から土浦市に転居したので、千葉県佐倉市に嫁いだ長女は里帰りが楽になったようだ。東京・大田区に住む次女も正月の東京は嘘みたいに道路が空いていると喜んで里帰りして来る。

 年年歳歳、孫たちの成長も伴う。

里帰りの主目的は「孫たちの意図」が前面に表出する。『お年玉』も日本人文化の遺産であるらしく顕在している。子育ての日々にも存在感が強く、良くても悪くても「金銭の授受」は人間性まで歪ませる仕草になってしまう。お祖父ちゃんの立場からも「迷惑千万」の文化である。これもお正月の風物詩としてカウントするものらしい(笑)。こんな風物詩と一緒に今年も始発してもう三日目を迎えている。

 読者諸兄の「正月の風物詩」をお聞きしたいモノである。 

2013/01/02

年頭の挨拶いろいろ

 ~電話の声で判断できず~

 「もしもし、●●です」と、聴き慣れない声にお名前が聞き取れずに聞き返す小生に、「先生ですか?」と畳み掛けられて、再び「えっ?そうですが・・」と返すと、電話の向こうでも「●●です」と繰り替えされた。

 声の主はその後判明したが、その変貌ぶりに愕然とした。老妻が茅ヶ崎市の自宅で20年ばかり書道教室を開業していた頃のお弟子さんである。お弟子さんとは言え、年齢的には老妻より5歳ぐらい若い女性である。ご夫婦の問題やお子さんの結婚問題に振り回される度に、書道のお稽古より「愚痴」話を聴いてあげる時間で過ぎてしまった、と老妻の「愚痴」を聞いたことがあった。

 ご主人は旨い寿司を握る職人さんで職場の同僚と何度も食べに行った仲である。カウンターの向こうで夫が寿司を握り、接客は妻がてきぱきとこなす店内は時として同行者が同席できない程に繁盛していた。能天気な小生には「理想的な夫婦」としてしか映っていなかった。

 どうして?解せない展開は「坂を転げ落ちる」速度になり、離婚と家族離散まで到達してしまったようだ。「お習字を習って店内の寿司メニューを手書きする」との熱い意志で老妻の書道教室の門を潜られたのがきっかけだった。

 電話の内容は、老妻が投函した年賀状のお礼と年始の挨拶だったそうだ。

 寿司店の廃業から苦難の人生となった彼女の運命は、老妻にとっても例のない非業になった。不幸にも癌が発見され入院された。夫も子ども達も面会にも来てもらえない状況に老妻も心痛していた。お付き合いが今でも続いていたことを再認識した。

 幸いにも「病魔からも遠ざかった」との情報だったらしい。商売繁盛で華やかだった頃の、美貌と元気ぶりの彼女しか記憶にない小生には同一人物として電話の対応が出来なかった。電話が終わっても老妻との話題は彼女のことだった。語り続けながら「人一人の運命」なるものを感じ入ってしまった。快復の暁には、当地・土浦まで訪問するとの約束が出来たようだ。その日の実現を小生も待ってあげたい心境になった。

2013/01/01

年頭のご挨拶

 ~今年もよろしくお願いします~

明けましておめでとうございます。

「お正月が来ると歳をとる」(=加齢する)と言われたのが妙にオトナに近づくようで嬉しかった幼い頃が懐かしい(笑)。だから「おめでたい」と言うんだよ、と祖母が冗談ともつかない言い方をしたのも妙にハッキリと覚えている。

 ところで元旦草々にご協力をお願いします。全国の読者の皆さんにも一緒に、次の質問を考えていただきたい。

 Q:加齢を実感して「おめでたい」と嬉しく思ったのは何歳ころまででしょうか?

小生の答えは二十歳(はたち)までだったような気がします。「オトナになったら」出来る(らしい)ことへの憧れがさせた感情だったと思っています。

 連なる時間の経過でしかないのに、どうして12月31日と1月1日の2日間だけをここまで固執して仰々しく振る舞いを要求されるんだろう。思春期頃になると堅苦しい「元日の朝」のしきたりにウンザリしつつも「オトナへの階段」は加齢のエスカレートで意思とは無関係に上って来たようだ。

 しかし、昨今、謝意を前面に立てて考えるようになった。

70歳に限りなく近くになると、このような加齢のエレベーターであれ、エスカレーターであれ無意識に中の諸々の「体験」や「思考」を悶々としつつ成長させていただいている、と。自らの「過去の歴史」が、現在の自らを創り上げているのだと認知せざるを得ない。そんなことを痛感することが多くなったからである。

今年もまた、高齢者は高齢者なりに「世間にお世話になり」ながら、他者の目には見えないだろうが「成長する」自分でありたいと期している元旦の朝である。

読者諸兄の健康で充実した1年を祈念して年頭のご挨拶と致します。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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