新聞記事(=写真版は『寸心紀行』・右欄枠をクリック)を読みながら懐かしく教員時代を思い出している。
世間を騒がせている「運動部」の指導をしている時である。しかも、それは中学校運動部の中でのことである。3年生になって公式試合が全部終了すると部員は「先輩たちが引退する」という時期を迎える。
可笑しくないかい?15歳になったか、ならないかの「時期」を引退すると言う言語文化は教育文化には不似合いに思えて仕方が無いからである。この場合の「引退」は、バトンタッチの時期でしかない。これを学ばせることも運動部の指導者の任務と考えている。
高見盛という関取は大相撲ファンの小生は当然ながら知っている。最後の土俵もライブのTV画面で観戦していた。アナウンサーの言葉を裏打ちするかのように、土俵を下りた関取を取り囲むカメラフラッシュの海を歩いて画面から消えた。解説者も「引退」という言葉を数回発した。独特な仕草でファンを呼んだ関取だったので小生もわかってはいたが、詳細は知らなかった。大勢の力士が誕生して多くの引退力士もあり、盛衰している業界である。そんな業界の中でここまで記事になることを考えるとこの力士の存在感(=『プロ』意識の評価)が、「引退する」節目で高く評価されたのだ。と思わざるを得ない。引退したこの力士には四股名から「年寄」という新名称が待っているという業界である。今度は指導者の役目を担うらしい。正に「新しい世界」への橋渡しとなる「節目」であることの証明である。
引退とは新旧交代であると同時に新世界への旅立ちである。
予定より1年早かったが、小生にも「引退」の節目はあった。その日からこの3月で9年間の歳月が流れることになる。この新世界には引退はない。この引き際は自らが独断するのである。色々な『引き際』があることも承知している。そんな思いをじっくり考えさせられる力士の引退であった。
ファンを魅了した仕草の裏を初めて知った。心から「お疲れ様でした」と言いながら、新世界での新たな活躍を期待していることも併せて伝えておきたくなる力士でもあった。
事務連絡:明日(1月30日)より2月2日まで休刊します。新ブログ『寸心紀行』も当然ながらこの期間は休刊します。その後も、講演遠征の日程上から2月10日までは「飛び石」状況での休刊になります。ご了承ください。