明けましておめでとうございます。
「お正月が来ると歳をとる」(=加齢する)と言われたのが妙にオトナに近づくようで嬉しかった幼い頃が懐かしい(笑)。だから「おめでたい」と言うんだよ、と祖母が冗談ともつかない言い方をしたのも妙にハッキリと覚えている。
ところで元旦草々にご協力をお願いします。全国の読者の皆さんにも一緒に、次の質問を考えていただきたい。
Q:加齢を実感して「おめでたい」と嬉しく思ったのは何歳ころまででしょうか?
小生の答えは二十歳(はたち)までだったような気がします。「オトナになったら」出来る(らしい)ことへの憧れがさせた感情だったと思っています。
連なる時間の経過でしかないのに、どうして12月31日と1月1日の2日間だけをここまで固執して仰々しく振る舞いを要求されるんだろう。思春期頃になると堅苦しい「元日の朝」のしきたりにウンザリしつつも「オトナへの階段」は加齢のエスカレートで意思とは無関係に上って来たようだ。
しかし、昨今、謝意を前面に立てて考えるようになった。
70歳に限りなく近くになると、このような加齢のエレベーターであれ、エスカレーターであれ無意識に中の諸々の「体験」や「思考」を悶々としつつ成長させていただいている、と。自らの「過去の歴史」が、現在の自らを創り上げているのだと認知せざるを得ない。そんなことを痛感することが多くなったからである。
今年もまた、高齢者は高齢者なりに「世間にお世話になり」ながら、他者の目には見えないだろうが「成長する」自分でありたいと期している元旦の朝である。
読者諸兄の健康で充実した1年を祈念して年頭のご挨拶と致します。
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